粉寒天と巨勢の秘薬

●粉寒天と巨勢の秘薬


 寒天は本来は天草てんぐさ寒天のみを指す。薄い飴色の天草を煮出した抽出液から作られるゲル。即ちトコロテンを乾燥させた物で、冬の寒い露天に晒して凍結乾燥させるからこの名がある。

 この為、冷凍装置が発明される以前は、冬場しか作れない物であった。


 しかし、わしが探させたオゴノリ寒天は違う。この時代でも一年を通して製造可能な寒天であり、本来この時代に有る筈の無いものだ。なぜならば、これは第二次世界大戦の産物だからである。


 戦前の日本は当時の世界供給の九割を超えた寒天の供給国であり、寒天は微生物の培養に欠かせぬ固体培地であった。戦争によって日本からの寒天供給を断たれた各国は、化学的に抽出して凍結乾燥工程が不要な粉寒天を開発したのだ。



 因みに。オゴノリはアプリシアトキシンと言う致死毒を持つ為、そのままでは食することが出来ない。

 しかし石灰などでアルカリ処理をするとこの毒を消すことが可能である。

 だから飢饉に備えた救荒食物として、冷害の多過ぎる南部の地で利用されて来たのだ。

 丁度、奄美などで蘇鉄の実を毒抜きして食したそのように。



「オゴノリを用いれば、天草に保水力は劣るものの寒天を大量に作り出すことが可能でございます。

 そのままでは煮汁を冷やしてもトコロテンのようには成りませぬが、苛性塩かせいえん(水酸化ナトリウム)で処理すれば、天草と変わらぬものが出来ます」

 わしは筆を執って、製法を綴る。

「意外と簡単でございますな」

 柳屋殿が目を細めた。


「この処理をしたオゴノリ・トコロテンをし袋に入れ、自重と圧搾で脱水した後、熱風にて乾燥し粉砕すると、効率的に寒天粉かんてんこを作れます。

 天草で作る寒天と比べ、水を保つ力が弱くコシも弱い物にございますが、苛性塩で処理することによって固まる力の強い寒天が生まれまする。

 菓子に用いれば羊羹などが廉く成りますし、これは良庵りょうあん先生のような蘭医の皆様に不可欠な物でご在ます」

「手間が省け一年中作れるのでしたら、羊羹などの菓子が廉く成るのは判ります。

 しかし、蘭医に不可欠とはいったい」

 柳屋殿に説明するのはまだ早い。そう判断したわしは、

「いまに判ります」

 とだけ言った。

 菓子が廉く成るだけでも悪くは無い商いなのだが、それよりもっと重要な事がある。寒天は培地を作るのに最適の素材で、細菌学の発達を後押しする力となるからである。


「巨勢の秘薬は一つだけではございませぬ。それを生み出す為には、大量の寒天を欠くことが出来ないからでございます」

 猿播さるはに続く巨勢の秘薬の正体はペニシリン。

 前世史実では、昭和三年にアレクサンダー・フレミングによって発見された世界初の抗生物質であり、寒天はこの医療用のペニシリンの生産には不可欠の物であるのだ。

 オゴノリ寒天は、日本からの供給を断たれた欧米諸国が、ペニシリンを作るために生み出した発明品であると言っても過言ではない。



 化学を専門とするわしが、なぜこんなことに詳しいのか?

 目を瞑ると昨日の事の様に思い出す。


祖父じいちゃん。どうしたらペニシリン作れる?」

 あの日。大学に入ったばかりの孫が聞いて来た。

「行き成りなんだ? 学校の宿題か?」

「あ、いや。実はメールゲームって奴を遣っててさ」


 バの国がどうの、ジェトの国がどうのと孫はゲームの話をする。

 架空の世界で、召喚された人間がロボットに乗って戦う冒険活劇のゲームなのだが、戦う以外にも色々と出来るらしい。

「なんだこのふざけた名前は」

 どうやらナガクボなにがしと読むらしい『永久保存版』だの、ハナゲ・ベリーロングだのコギャル・デ・チョベリバだの。おかしな名前のオンパレード。


「で俺、ゲーム内の医薬開発のチームに居るんだけどさ。このチの国ってとこの分国ククェスにいるククスラ・スランとルシャンタって奴から、ペニシリンを作りましょうって話が来たんだ」

「ほう。そいつはどの程度の立場なんだ?」

 如何にゲームの中とは言え、立場によって出来る事が違う。

「ルシャンタは、分国王を護って死に掛けたのが切っ掛けでそこの王妃になった奴。

 独立運動の急先鋒でウィルって言う国と接近中」

 得意げに話す孫によると。ゲームの中とは言え、暗殺の矢を受けて矢傷を火傷に代えて止血したりと、なんともまあ勇ましい女傑ぶりだ。


 わしは人見知りの激しかった孫に、沢山の友人が出来たことをよろこんだ。

 それで張り切って、仕事で繋がりのある知り合いに話を着け教えて貰ったのだ。

 こう言う事もあって、ペニシリン濃縮の遣り方は平たく言えば塩田と同じ理屈だったと覚えている。


 よもや来世で役に立つとは、思いもよらなかったがな。



「秘薬製造の為に、平底のこのような器も大量に必要と成ります。今から手配だけはしておいて下さい」

 わしは柳屋殿に頼んでおいた。


 一刻あまり打ち合わせをして柳屋殿が帰ると、お春がわしを呼びに来た。

「ご世子様より文を頂いております」

 江家こうけの時代当主。わしの兄上様からの手紙が届いた。


 一読したわしは命じる。

「お春。急ぎお伊能いの殿と軍次ぐんじ殿を呼びなさい」

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