忍び寄る魔の手1

●忍び寄る魔の手1


「構わぬ。そこでだ。

 登茂恵ともえに申し付ける。そちもわれ耳目じもくと成れ。

 御親兵ごしんぺいを通じ、市井の女や処士と繋がりの有るそちなれば、余の者が拾わぬ物も拾って来るであろう。

 故に予は今この時より、そちに文による言上を許す。

 いついかなる時も、直ちに登茂恵のふみが予に届くよう整えた。場合によっては寝ている予を叩き起こしてでも届けよと申し伝えてある。

 登茂恵は文の表に、至急・急・普の文字を書きて、門衛に届けよ」

 と仰られた。


 至急ならば大樹公様を叩き起こしても直ぐ届く。

 急ならば目覚めを待って届く。

 普通ならば、大事な行事を除き、職務の最中にでも届く。

 読んでどうするかは大樹公様次第との事。


「さて。先程の話であるが……」

 ここが大奥。本来は大樹公様の私生活の場だ。

 どうやらまだまだ帰しては貰えそうもないようだ。


「……薩摩の方も別の話で手を下せぬ。有村めが残した書状に、主君の仇討ちであると書かれて居るのが拙くてな。曰く、赤鬼羽林の意を受けし者が先代藩侯に毒を盛った為とある」

 天下を統べる大樹公様とは言え、世のしがらみ十重とえ二十重はたえ

 まこともっままならぬ。



 いいや、愚痴くらいならば幾らでも聞こう。

「しかし上様。いつの間にか、大奥の皆様が……」

「ああ。そうだったな。用が有るのは予だけでは無い。この者達もだ」

 大樹公様の愚痴が終わり次第、わしを連行しかねない雰囲気だ。


「あのう。その御召し物は……」

 刺繍で尾形光琳こうりん躑躅図つつじずを描いた着物をわしに向かって広げている。

「勿論。登茂恵様に着せるため、有志の集いで丹精致しました」

「こちらの西陣は」

「飛鳥井様からの贈り物にございます。」

「そちらの緞子どんすは」

瀧山たきやま様からにございます」

 どう見ても、着せ替え人形にされる未来しか思い浮かばぬ。


 敵意ならば如何程の事も無いが、好意と言う奴が恨めしい。

「皆様、何故に私をご贔屓下さるのですか?」

 聞くと、

「上様がしきりに登茂恵、登茂恵とらせられ、どんなおみなかと気を揉めば、ほんの子供。

 僅か十一の女童めのわらわでございませぬか。

 しかも大奥にお泊り遊ばすこと無き御方なれば、間違っても上様のお手が付くことはございませぬ。

 事実そうしていらっしゃる様はどう見ても、妹背いもせでのうて兄と妹にございまする」

 とコロコロ笑う。

 わしは、絶対にライバルとなり得ぬ大樹公様のお気に入り。そう見ているからと言う事か。



「それにこの端切れ。これは登茂恵様の創られた染粉そめこで染めた物と聞き及びます」

 紫の端切れを見せる女。

「かほど鮮やかな紫に染めるには、オランダ渡りの貝紫かいむらさきが必要。

 されど貝紫は千金を費やしても手に入るかも判らぬ貴重な品にございます。

 それをお創りになったのでございます。お近づきに成りたいと思うのは、女人のさがにございましょう」

 わしを見る女の瞳は、逃がしはせじとの猛金の眼。


「加えて新しき、白粉おしろい化粧けわいの術。

 瀧山様の如く、ご自身も女としてはもう枯れ木と悟りをお開きになったお方でさえも。

 登茂恵様の白粉をお使い遊ばせば、もう一盛りと残余の花。

 飛鳥井様程のお歳なれば、おしとねの声も掛からんばかりの女盛りに若返りまする。


 ここは大奥。呉服もくしかんざしも、欲しい物は何でも手に入りまする。

 されど若さは銭ではあがなえませぬ。枯れ木に花は咲かぬもの。今まではそうでございました。


 仮令たとえ他の費えを削られても、若ささえ手に入るのでありましたら、女は何を惜しみましょう。

 若く美しき者はより美しく。そうでない者もそれなりに。

 されどそのそれなりが、従来の化粧に勝り、あるいは一回りも若返ることもありとなれば。

 女ならば誰でも、殺しても奪わんと欲しまする」


 わしは思わず後退あとずさりした。

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