醜の傾国

しこ傾国けいこく


 彦根屋敷へ見舞いの後。そのままわしは大樹公たいじゅこう様の許に呼び付けられた。

 耳目を嫌い、大奥の一間に通されたわしが一礼すると。

「これも功労者であるそなた故、伝え置くのだが」

 大樹公様は、わしにそう断ってお話になられる。


「過ぐる三月三日総登城そうとじょうの日の話だ。先程、彦根中将を襲った賊の正体が判明した。

 薩人さつじん有馬を除く残り十七名は、全て水府すいふの者。但し襲撃の前日に除籍願を届け出てはおる。

 手続き上、あくまでも致仕した者であり、襲いし時は水府と何ら関わり無き浪人。と言う体裁には成ってはおる。


 尋常じんじょうならぱ、斯様かような小細工如きで知らぬ存ぜぬを通せる筈も無いのだが。

 腐っても水府は御三家なのだ。外様のように簡単に改易かいえきすることは出来ぬ。

 精々が彦根中将が下した沙汰を長く保ち、水府老公ろうこうの動きを抑える程度が関の山だ。


 老公はわれの大樹公家家督かとく相続の折、ご三卿の一つが家に送り込んだ息子に家督を取らせようと図ったことで、予を推す彦根中将に抑え込まれたのであるが、今も捲土重来を期して色々とはかりごとを仕掛けまくって居る。

 あのじじめ。これでは手を出せぬだろうと、息の掛った太平記たいへいき読み(講釈師)や阿呆陀羅経あほだらきょう(浪曲の原型の一つ)の者を使い、水府老公・義公ぎこう様の諸国漫遊まんゆう世直し旅の演目を仕掛け、今では大層な人気だとか。


 解り易い勧善懲悪や義理人情にご府中の者は弱い。今や市井にける水府老公漫遊記の人気が、当代の水府老公の人気となりつつある。


 さて。大樹公家が不磨ふま祖法そほうは『けん多きはろく少なし』

 権現様が定めしおきてしたがいて、水府は尾州びしゅう紀州きしゅうよりほう少なくしてくらい低く、先ず大樹公家を継げぬ家柄。

 されどそれ故に、継げぬからこそ大樹公選定に於いて重きを成す家なのだ。


 なあ登茂恵ともえ

 大樹を継げる家にを送り込みて、彼を立てんとするは余りにも邪知じゃち深い(狡賢ずるがしこい)所業とは思わぬか?」


 愚痴る大樹公様は、わしに振った。

 ここだけの話とは言え、わしの発言でころされる者が生まれては面倒だ。だからわしは、

「登茂恵は兵法ひょうほうを学び会得したのだと、些かの自負は持って居りまする。

 されどまつりごとはてんでくらいのでございます。

 にも拘わらず。いたずらつついて上様に時を歌わせ遊ばしては、登茂恵は後の世からしこ傾国けいこくと呼ばれましょう」

 軍事の事なら専門家なので、幾らでもアドバイスできるが、政治は門外漢だから判らない。

 それにも関わらず上様に入れ知恵などしては、国を亡ぼすことになるでしょう。

 わしはそう見得みえを切った。すると大樹公様はわらわれた。

「謙遜しておるのか、驕っておるのか判らぬ物言いよのう」


 言葉遊びであるが、日本語に於いてしこの一字には、醜いと言う意味と、強いと言う意味があるからである。

 勿論、傾国とは文字通りの意味に加えて、美人と言う意味があるのは皆様ご承知の通り。



 実際問題。わしの能力は武張ぶばった物が多い。知識も現場でこそ活きるものだ。

 前世を省みれば、軍人としても技師としても視点の高さは精々中隊長。会社員としても課長が務まるか務まらぬか。その程度が関の山なので、間違っても国家の安危を左右する訳には行かないのだ。


 余談になるが。当然の事として、文民は軍事を武人は政治を学ばねばならない。なぜならば何の為にそれを為すのか解って居らねば、いつか手段が目的と化してしまうからだ。

 とは言えそれだけでは足りぬ。軍人が政治を識り、文民が軍事を学ぶ。それでいて各々がそののりを超えぬ。それがどんなに難しい事か? 歴史は残酷な証言をしている。


 軍に於いて。前線が任務の為に与えられた独断専行権を超え、政治が行なうべき領域まで遣らかすのは国を亡ぼすレベルの害毒となる。その悪しき実例として昭和の関東軍が挙げられよう。

 逆もまた然り。文民統制シビリアンコントロールのりを超え、ヒットラーの如き文民指令シビリアンコマンドになっても結果は同じである。

 ようは孔子の言う如く文武は対の車輪にしあれば、互いを良くりその領分を越えず、文武が目的の為に協同ちからせねば、事はけっして上手くは行かぬのだ。



「ならば明言しよう。これはわれの愚痴だ。重荷を下ろし休みたいが為の戯言ざれごとで、決して登茂恵だけの言にまつりごとを動かしはせぬと」

 まだ十五の若い身空で、疲れ果てたおっさんの雰囲気を醸し出す大樹公様に、

「だけのと仰られるのは、取り入れる事もあるとの仰せにございまするか?」

 わしはわざわざ釘を刺す。


「良き事を聞き捨てにするのは勿体もったいない。他の者の言も聴き、衆議にはかることもあろう。

 何よりそちはおみなである。男には見えぬ物も見えていることであろう」

「はい。些かは」

「構わぬ。そこでだ……」


 ここに至り大樹公様は威儀を正し、わしを呼び付けた用件を口にした。

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