惣領権

惣領そうりょう


「所で登茂恵ともえ殿」

 彦根中将様の視線が、わしの顔に向かう。

「額は如何なされた」


 善き先例があると聞いて、彦根中将様の重荷の幾許いくばくかは降ろされた。

 切羽詰まると、彼ほどの人物でも動顛するもの。それが漸く落ち着いて、初めてわしの怪我に気が付いた。


「賊の一人、薩人さつじん有村ありむらなにがしと戦い、傷を受けましてございます」

 さっと顔色を変えた中将様は、慌てて身体を起こそうとした。しかし、弾は腰を貫いている。気は焦れどもままに為る筈もない。

「済まぬ。女のかんばせに傷を負わせたは一生の不覚。命を救われあまつさえ……」

 手で謝罪を押し返し、

「手傷を負いしは、登茂恵一人にございませぬ。短筒の弾をあしに受けた者も、刀傷を負った者もございます」

「そうか」

 鷹揚に中将様は頷かれた。


「そもそも御親兵ごしんぺいが働きは、ひとえに過日の中将様のご承認が有りましての事。

 もし鉄砲を放つ事が罷りなりませんでしたのならば、中将様をお助け致す事は適いませんでした。

 此度こたび馳せ参じた者は、上様のお召しにより大奥へ上巳じょうしの祝いに登城途中の者。

 即ち殆どが女の子めのこにございました故」

 聞いて益々色を無くす中将様。


「なんと! 女の子めのこがわしを護って傷付いたとは……」

「勿論。ご家中の勇士も獅子奮迅のお働きを為されました。しかし中間の者が為、裏崩れが起きたのでございます。

 前にも言上ごんじょうつかまつりましたように、一日雇いの者に譜代の忠義を求めることは出来ませぬ。命働き致した所で報われる事は無いからにございます」

 黙ってしまった中将様は、

「傷を負いし者達にどう報いればよい」

 とわしに聞いた。


「御親兵は、小身しょうしんたれとも上様が臣。中将様の家臣ではございませぬ故、勝手に賞される訳には参りませぬ」

 わしは申し出を道理に合わぬと一蹴したが、

「彦根への助太刀は、彦根から見れば賊とのいくさへの陣場借りと見る事も出来る。

 銭金ぜにかねならばさわりはあろうが、感状ならば如何に?」

 と詰め寄って来た。

「それも、上様から頂いております。お気持ちは解りまするが、それでは鎌倉殿に断りなく官位を受けた烏滸おこの者のてつを踏みまする」


 主君である源頼朝みなもとのよりともに断りなく、勝手に官位を受けたお馬鹿さん達と同じになってしまう。そうわしは返したのだ。

 惣領権と言う言葉こそ、武士の世のもといであるのだから。



「固いのう」

 中将様は初めて口元に笑みを浮かべた。

「外様にございます。この程度のことわりを守らずしては、身を保てませぬ。

 差し詰め今のは、真に上様に対したてまつり、誠忠せいちゅうを尽くす心積りの有る無しを試みられたのでございましょう」

「ふぅ~」

 中将様は大きく息を吐き出した。


「そうそう。

 傷を受けし者の内、上様のぞくまぬ者がございます。

 の者であれば、問題は無いと覚えまする」

 わしはわざわざ大樹公たいじゅこう様から給料を貰って居ない者が居ると教えて遣った。


「誰か?」

 当然のことながら中将様は聞く。

輜重方しちょうかた取締役並とりしまりやくなみ酒保しゅほ商人。お伊能いのにございます。

 上様から定まったろくを賜らず、御親兵との商売にて口をのりする者にございますれば」

「ならば、お伊能に感状を下そう。如何なる者で。如何なる手傷を負ったのだ?」

「はい。柳屋隠居の後家で、桜田門外にて短筒の弾を足に受けし者にございます」



 竜庵りゅうあん殿に頼まれていた件。これでなんとかなりそうだ。

 選りにも選って襲われた中将様その人からの、先の変に於ける働きに対する感状なのだから。

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