拾いモノ
●拾いモノ
沖には黒船が投錨していると言うのに、人の営みは変わりない。
今の所、神経を尖らせているのは藩庁と動員された武士達だけだ。
「所詮は他人事なのでしょうね」
浜に物見遊山の見物人が押し掛けている他は、太平の世に慣れた町家の者は、いつもと変わらぬ日常を送っている。
先程のあばた面の小男とて、沖に停泊する黒船よりも師匠の
「スエ。少しばかり、皆に危機感が足りなくは無いですか?」
問われたスエはくすっと笑う。
「姫様はご存知無いと思いますが、黒船騒ぎは今に始まった事ではございません。
こたびのように、沖に留まるのは初めてでも、近くを過行くのは以前からでございます」
「知らなかったのは私だけか?」
「姫様が五つ前頃には、大騒ぎになったものでございます」
わしが今のわしに為ったのは、はしかで死に掛けて以来だが、その前の事も
数えの五つと言えば、満で言うと三歳児。ならば知らぬのが当たり前だ。
こうして街の様子に合点したわしは、大回りして屋敷に帰る。
屋敷まであと少しと言う所で、天下の大路を先程の無銭飲食未遂の男が待って居た。
男はわしを見るなり平伏し、
「申し訳ない!」
「もし。このような場所で土下座をされても困りますが」
命ずるまでも無くスエが声を掛ける。
「いったいどうした仕儀ですか?」
身分の上下はあろうとも、一個の武士ともあろうものが天下の往来で取る態度ではない。
「手紙を届けに訪ねて行ったところ、藩の獄中にありと言われた。暫しの逗留と帰りの路銀を当てにしておったわしは、お主に返す銭の一文とて無いままじゃ」
意外と生真面目で律儀な男だ。たかがうどんの代価など、踏み倒したとて何ほどの事でもあるまいに。
「ここではなんです。ついて来なさい」
そちらの体面も気拙いが、わしだって恥ずかしいわ。
男は正中線を微動だに揺らさぬ動きで三歩後ろを付いて来る。
角も大回り。
「裏口はどちらであろうか?」
門に着くと男は切り出した。
「お勝手は……」
「待て」
わしは手で教えようとするスエを制し、
「構いません。今は堂々と表から入りなさい。私が許します」
そう男に告げる。
考えてもみろ。ご奴に害意があるとすれば、裏口からの
「お帰りなさいませ」
前庭で身の丈ほどの箒を使う四十路を過ぎた
「この方は?」
とわしに尋ねた。
こう見えても、こ奴は父がわしに付けた下級武士の次男坊で、些か腕に覚えがある。
大抵が剣を学ぶ家中の子弟の中で、珍しく
――――
傷つけず 人をこらして戒むる 教えは杖の 他にやはある
突かば槍 払えば薙刀 持たば太刀 杖はかくにも はずれざりけり
――――
と謳われる、護りに徹した武術故に、彼は厄介叔父の身からわし付きの家人となった訳だ。
因みにこの箒。柄は四尺三寸、太さは八分。白樫製でササラの部分を抜き外せば、そのまま彼の得物となる。
万が一、良からぬ者が屋敷に入れば。忽ち彼に御用となるか、拙くともわしが逃げる時間を稼いでくれると言う訳だ。
「それで、私の厄介になりたいと?」
「はい。当地で御縁のある方は、他におりません」
「ふぅ~」
わしは溜息を吐き、
「ならば、私付きの家来をして貰いましょうか? 禄はいかほど欲しい?」
途端に曇る男の顔。
「有難いお申し出ですが……。正式の仕官はご容赦を」
浪人ならば。あるいは家を継げない次男坊以下であれば。
もしくはわしに取り入ろうとしたり近づくのが目的で有れば。
わしの家来になると言うのは悪くない選択だ。
それを困ると口にする。こ奴はいったい何者だ?
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