名はまさのぶ

●名はまさのぶ


「仔細を伺いましょう。あなたは何者ですか?」


 真正面から睨み付けると、


「わしは土佐郷士・岡田義平ぎへい世倅よせがれ。岡田宜振よしふるじゃ。

 いずれは父が苦心して得た足軽株を継がねば為らぬ身の上。今よりお主使われるのは構わぬが、土佐に籍がある以上、他家に仕官は許されぬ身の上だ」


 おいおい。わしは耳を疑った。なぜならば。


いみなを名乗るとは大げさな。それこそ、仕官を望まぬなら名乗っては障りがございましょう」


 すると岡田は、


「わしゃあ、不器用な人間だ。たかが足軽とは言え、親父が苦労して得たこのお役目。継がねば人の道に背く。

 ですが、仕官せよと言って下さったお主に不義理も働きたくない。

 我が祖は長曾我部に従って四国を制覇した一領具足の一人じゃ。じる名くらい持っておる。

 諱を名乗ったのは名簿みょうぶ代わりと思って下され」



「それにしても、よしふる……いにしえを好むですか?」


 わしは矢立を執り、懐紙に文字を書き付けた。


――――――――――

 好古敏以求之者也

いにしへを好み、びんにしてもっこれを求めたる者なり)

――――――――――


 勿論。前世は帝国軍人であったわしが「よしふる」と聞いて真っ先に思い出すのは、日露の戦でコサックを破った、日本騎兵の父・陸軍大将・秋山好古閣下だ。



「女のくせに学があるな。今紫いまむらさきとお呼びすべきか? まさに論語のこのくだり

 ここから好古こうこの二字を採り、これを「よしふる」とんで、我が家の通字『よし』の字を当てたものだ。

 紙と筆を拝借。略式じゃが名簿みょうぶと思うて下され」


――――――

 岡田宣振

――――――


 これが彼の名前だった、



「ところで。軽々しく諱を呼ぶものではありません。

 以後、あなたを何と呼べば宜しいでしょうか?」


「何とでも。聞く所によるとここのお殿様は、お気に入りの家臣に新しく名を与えておるのだとか。

 姫が好きに名付けて下され」


「なんとでも?」


 にやりと笑って見せると、岡田は慌てて、


「あ、いや。流石に助兵衛すけべえとか抜作ぬけさくとか、人聞きの悪い名前だけはご容赦願いたい」


 確かに気持ちは良く判る。


「ならば、『宣振よしふる』の文字を読み替えて。

 せんの字は、すみ・たか・なり・のぶ・のり・まさ……。

 しんの字は、たつ・とし・のぶ・ふり……」


 ごにょごにょと口の中で唱えて選ぶ。


 そしてわしはポンと手を打って、


「そう。『まさのぶ』と呼ぶのはどうですか?」


「おかだまさのぶ……。悪くない」


「では、それで」


「我が腰の肥前忠広に懸けて誓う。この恩を返すまで、あるいは国許から戻れと命が参るまで。

 わしはお主に仕えよう」


 今までの所作を見ても、かなり腕は立ちそうだ。


 こうしてわしは、きび団子ならぬうどん九杯で、自分が選んだ最初の家来を手に入れた。

 彼は土佐にその籍があるものの、郷士で足軽待遇の軽輩の後継ぎ。

 父を通せば。まだ家を継いでおらぬ者故に、土佐の殿様の了解を得るのは難しく無いだろう。

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