毒を以て毒を制す

●毒を以て毒を制す


登茂恵ともえはきついのう。

 あれでは当の町方は、詰め腹は切らずとも召し放ちか隠居は免れまい。

 不浄職は実質世襲であるが建前としては一代雇い。子がお役目を熟せる歳であれば良いが、さもなくば大変なことになる。

 さりとて仕置無しで済ますのは、さらに問題がある。誰か策は無いものかのう」

 大樹公様は大きな声で呟いた。


「知らずとは言え、上様や彦根中将様のお顔に泥を塗ったのでございます。

 相応の報いを受けて頂かねばなりませぬ」

「そうではあるがな……」

 言葉を濁す大樹公たいじゅこう様。

 和泉守いずみのかみ様を巻き込んでの重苦しい空気。この流れは宜しくない為、わしは一計を謀る。


「それにあの調子では。万がいつ水府すいふのご老公が世直し旅を為された場合、誤ってご老公を傷め吟味に掛けかねませぬ」

「は……」

 大樹公様は一瞬、何の事か判らず絶句した。しかし直ぐに何の事か大まかに検討を付けると、

「確かになぁ! くっくっくっくっ。して登茂恵。そちが太平記読みなら如何とする」

 どこまでお読みになって居るのかまでは判らぬが、即座にわしに切り返して来た。今や暗い雰囲気は掻き消えて、わしのヨタ話を求める大樹公様。



「登茂恵が戯作者ならば、俳人の代わりに警護の者を当てましょう。

 そう。例えば……。


 道中差しなれど天下に名高き薩摩拵えの長脇差を揮う水府一刀流の達人が一人。無手にても戦える柔の名人が一人。

 いざと為れば城もひとやも易々と入り込める忍びを一人。男では立ち入れぬ場所を探れるよう、女忍びも加えましょう。これらを以って老公四天王とします」

 にこっと笑って大樹公様を見る。


「ふむふむ。面白そうじゃ。登茂恵は戯作者でも物に成りそうだのう」

「そして最後に、一見軟弱で調子良くどこか抜けている男を加えます。

 布袋ほてい様のように腹の突き出た食いしん坊の幇間たいこもちを配して物語を綴れば、面白いかと」

 前世の人間ならば、若い者でも良く見知った物語である。


「幇間? 何じゃそれは?」

 知らぬとこれだけ浮いて見える。


「はい。老公はやんごとなき身分のお方なれば、お忍び旅を好機とばかりお命を狙われるやも知れませぬ。

 幇間は敵から見れば員数外。その実は、毒や薬に精通した鬼役にございまする。

 腹は言わば上げ底で、種子島の弾をも食い止められる様に、各種鎧を重ね着していると言う仕込みでは如何でございましょうか?」

「だから普段は抜けているのか」

「いざと言う時まで、役立たずを演じさせます」

「ふむふむそれで?」

 大樹公様は身を乗り出した。


「はい。対する悪党でございまするが。

 先ずは、正閏せいじゅんの筋目を違え、傍系を推してまつりごとを壟断せんとする奴輩やつばら

 これらを中心に、権柄ずくの役人・強欲商人・淫祠邪教いんしじゃきょうの法師などをちりばめて遣りましょう」

 正閏論的には横車を押す形となった水府老公を、老公は老公でも水府義公ぎこうの活躍を以てあげつらう のである。


「……登茂恵。老公の活躍で老公をおとしめるのはどうかと思うぞ」

「毒をもって毒を制すと申します。登茂恵は老公を以て老公を制さんと考え起こした次第にございます」

「はっはっはっは。そう来たか」

 大樹公様は手を打って喜んだ。


 噂の火消しは、敵と同じ手段を用いるのが定石である。

 老公が芝居・講談・浪花節で義公の名を利用するのなら、こちらも同じ方法を使う。

 正閏の筋目を重んじた義公の筆法で、御裔みすえたる当代老公を裁いて悪い訳が無い。

 悪人達は遣り込められ、ご老公の名の下に正しきお裁きが成され万々歳。その悪党の遣って居る事が偶々たまたま、水府側に心当たりのある事ばかりに過ぎないのだ。



「控えぇ~! 控えおろう~。

 この紋所が目に入らぬか! こちらにおわす方をどなたと心得る!

 恐れ多くも前中納言さきのちゅうなごん水府すいふ光圀みつくに公に在らせられるぞ。

 が高ぁ~い! 控えおろう~」


「愉快愉快。これなら町人共も胸を撫で下ろすことであろう」

 大樹公様は手を打って喝采し、和泉守様も笑いを堪えるのに必死だった。


 興の乗ったわしは、何時しか水府老公漫遊記の一時間物を熱演していたのだ。



「上様。登茂恵殿。宜しゅうございましょうか?」

 落ち着くのを待って、和泉守様が声を掛けて来た。


「ああ。済まぬ。登茂恵の企てが余りにも愉快であったのでな。赦せ」

「構いませぬ」


 二人の返事を待って和泉守様が口を開いた。

「今の芝居。身共みどもも溜飲を降ろしました。

 特に、小役人共の掌返しの狼狽振り。お上のご威光をかさに着る一味の頭が、

『こんな所に黄門様がお出でになる筈が無い。狼藉者を斬って捨てよ』と抜かして黄門様を襲い。

 お供の活躍で返り討ちにご成敗となる様は、胸のつかえが取れる思いにございました。

 まして上様が宜しいのでございますれば、一向に構いませぬ」

 良かった。此度の騒動で気鬱気味の和泉守様が笑われた。


「それで、何用でございましょう?」

 わしが水を向けると、和泉守様は言った。

「我が謝罪は受け入れて頂けました。そして対策のきっかけを頂きました。

 されど此度のお話はそれだけにはございませぬ。

 登茂恵殿ご依頼の、エゲレス言葉で言うパテントの返事が来て居ります。

 また、メリケン公使ハリス殿が『八島とメリケンの友好に関わる一大事が起きている』からはやく上様を出せと怒髪天を衝く有様にございます」

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