ハリスの疾風1

●ハリスの疾風かぜ


「何ぃ! 二股髭が?」

 露骨に不快を露わにする大樹公様に、

「上様。品下しなくだるお言い様はお止め下され。ハリス殿にございます」

 和泉守いずみのかみ様は苦言を呈した。


 何かと言わば恫喝し、傲慢で人の話を聞かぬメリケンの公使が来ている。


 会った事も無い故、実際にどんな人物かは知らないが。ご重役曰くドンガー・ドンガラガッタと金棒引きに騒ぎ立てるハリス。

 国を背負って相対する時は厄介の上ない相手である。


登茂恵ともえが赴いても良かったのでございますが。通詞つうじ(翻訳者)の方はおいでですか?」

 尋ねると和泉守いずみのかみ様は、

栄之助えいのすけを呼んでおる。彼が聞いて文字に起こし、我らが密かに見るのであるが。

 公式には、オランダ語を介しての会話と言う事にしてあるのだ」

「それはそれは難儀な事で」

 わしが随分と面倒なことをと口にすると、大樹公たいじゅこう様は、ご説明下さった。

「酷く難渋するが、その分考える時間が稼げる。

 直接話をすると、合わさせ言葉の方が余りにも有利過ぎるのだ。だからここでは第三国の言葉を挟むのが上分別と心得よ」

 なるほど。英語で話さば細かい言葉の違いを利用して、あちらだけが有利な抜け道を作ってしまうか。当世は数え十一の小娘で、前世も政治とは縁のない人生であった為、ここらの機微は言われるまで知らなかった。



 普通、ご府中のお城でも元麻布の公使館でも、交渉事は行わない。相手の芝を踏む振りが有るからである。

 しかし此度こたびは態々尻を持ち込んで来た。しかも怒り狂って。


 果たして。遣って来たのは物々しい出で立ち。自身と通詞は非武装なれど、重装騎兵の着けるキュライスを纏い、サーベルとピストルで武装した護衛を連れての喧嘩支度。

 程無くそれぞれの通詞がオランダ語を間に挟んだ交渉が始まった。

 わしはこの席において、通詞の横の座に配された。



「贋金が出た。うちのドル硬貨が偽造され、オロシャやエゲレスへの支払に使われている。

 この件に対し、取り締まりと賠償を求める」

 そう言って、ハリスは数枚の一ドル銀貨を突き出した。

 銀貨は皆、盾を持ち座っている女神リバティとメリケンの国鳥・白頭鷲が描かれた硬貨。

 そして別に突き出された何枚かは、真っ二つに切断され今川焼きのように中に異質な餡が入っていた。


「質の悪いことに、内側に比重の同じ鉛合金を仕込んで、外側だけ本物と同じ合金を使っている」


――――

・銅    :08.96

・銀    :10.5

・鉛    :11.34

・劣化ウラン:19

・金    :19.3

――――


 目の前の一ドル銀貨は貿易用にて、銀が九に銅が一の合金製。その比重は鉛よりも軽くなる。

 これが金貨ならば金は鉛より軽いので誤魔化せない。あの劣化ウランでさえ、金よりも軽い為だ。

 しかし鉛は銀よりも重いのでこの贋金のように同じ比重の合金を作成することが可能となる。


 つまりこれと同じ比重の合金を廉い鉛と銅で拵えて、中に仕込んだ物であろう。実際、比重的に銀は前世のホワイトメタル第十種と同じであるしな。


 尤も、高度な冶金技術をもってすればの話であるが。



「なるほど、贋金のようですな。中の色味がまるで違います」

「そうだろう。詐欺師め、良くも遣ってくれたな」


 わしが和泉守様と大樹公様を交互に見ると、お二方は頷かれる。

 なのでわしは声を上げた。



「お待ち下さいハリス殿。貴国が野蛮国扱いする我が国に、そんな事が出来るとお思いか?

 察する所、技術の優れたエゲレスやフランスやオロシャの仕業でしょう。

 いや、仰る通りの精巧さならば、案外お国の計略かも知れませぬな?」



 生憎、未だ本邦には被覆鋼弾フルメタルジャケットを製造する技術は無い。

 こんな精巧な偽一ドル銀貨を作り出す鋳造技術が有れば、何よりもわしが利用している。


 何故わしが渇望しているか簡単に説明しよう。


 鉛の弾帯は、対人殺傷力が強く重い為他の金属器よりも射程が長い。しかし鉛無垢では、発射と銃身通過に伴う摩擦や変形などにより初速低下を招き、長距離の銃外弾道も安定しないのだ。

 その散布界。つまりある一点を狙って射撃した時に弾丸がばらまかれる範囲だが。この当時の一般的な小銃戦闘距離ならば、許容すべき誤差に過ぎぬのかも知れない。

 しかしだ。発射の際の摩擦熱は相当なものになる。鉛は融点が低い為、連続使用すると融けた鉛で容易く施条ライフリングを埋めてしまうのだ。



「何を証拠に、貴君は我が国を愚弄するのか?

 そもそもなんだこの無礼な小娘は。貴国は大事な交渉の場に、子供に発言を許しているのか!」

 既にボールは我が手に有り。わしは孫が好んだ小説の悪役令嬢のように振舞う。

「おっほっほっほっ。全く、油断も隙も有りませぬな。

 貴君こそ何を証拠に、これが我が国の仕業と申されるのでございますか?」


 証拠が有れば、今ここで示さぬ訳が無い。

 もし仮にそんなものが有れば、声を荒げる必要もない。粛々と事務的に事を運べば、我らは彼の言いなりになるしかないでは無いか。

 つまり、これは恫喝を利かせた誘導尋問に過ぎないのである。


 こうして双方ジャブを交わしたこれからが、交渉の本番だ。

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