第七章 狐狼と虎狼

謝罪と提言

●謝罪と提言


 もう夕方近く成ってはいたが、大樹公たいじゅこう様のお召しである。

 急ぎ登城すると。奥へと通された。ここは奥とは言えご重役も立ち入ることの出来る浅い所だ。


「済まぬな。度々こちらに呼び出して」

「はい。いいえ、お召しとあらば状況の許す限りは参上仕ります」

「その言い方では、参れぬ場合もありそうだな」

「はい。例えば敵と戦っている最中に、味方を捨てて参る事は適いませぬ。

 場合によっては、上様の許に敵を呼び込んでしまいます」

「なるほど。相判った」

 既に気安い言葉遊び。こうして態々わざわざ上座より、頭を撫でに降りて来るくらい大樹公様は気安い。

 傍らの人はと見遣れば、

「松平乗全のりやすだ。

 登茂恵ともえ殿。酒保しゅほ殿の事、相済まぬ。

 これは言い訳に過ぎぬが。許可したのは書状に一味の女とあった者にて、酒保殿の事とは思いも寄らなかったことを言い置いておく」

 今度の事でご重役を辞任することになられた、松平和泉守いずみのかみ様が深々と頭を下げられた。


「はい。いいえ、和泉守様をたばかった者こそ、登茂恵が憎むべき相手にございまする。

 町方の同心の一人が、日頃より目を掛け小遣いを与えご用の向きを任せて居った者の仕業にて。彼も恩ある同心殿に手柄を立てさせようとした忠義からしでかした話にございます」

「そう言って貰えるとありがたい」


「されど」

 とわしは言葉を継ぐ。

「有ろうことか。中将様より上巳じょうし変にて感状を賜りし我が配下に、縄目の恥を負わせ。

 あまつさえ、和泉守様を謀っての痛め吟味ぎんみ。町方の為し様は到底看過致せませぬ」

 すると和泉守様は、

「わしの致仕ちしでは済まぬのか?」

 と聞いて来た。

「いいえ。和泉守様が骸骨を乞われる有様なのに、勇み足の者共がお咎め無しでは納得致しかねます。

 ご府中を護る町方の重き任は解ります。事が事だけに、早く捕らえろ証拠を掴めとの圧も想像を絶しましょう。

 しかれども、思い込みで罪人と決め付けるのは赦せませぬ。


 彼らは、お伊能いの殿が一味から聞いている筈だ。そう決め付けました。

 賊といえども一味は武士。どうして容易く大事やはかりごとを同志でもない女に漏らしましょう。

 例えば和泉守様は、家人にお役目の大事を漏らしてお仕舞になられますか?」

「断じて無い。わしのような天下の安危を担う者は勿論。一日雇いの中間とて、お役目の大事を漏らす事など有ってなるものか」

「左様にございますね。然るに町方はそれを有りと致しました。

 人は己を鏡として他人を推し量るもの。されば町方の奴らは、必ずやお役目の大事を家人に漏らしている筈に相違ございませぬ。

 さもなくば、どうしてお伊能殿が知って居るに違いないと確信いたしましたのでしょうか?」

「うむ」

 わしの誘導が効いたのか、和泉守様の耳が真っ赤に染めあがる。

 すかさずわしは、手裏剣の如きを和泉守様の思考の盤面に打ち込んだ。

「勇み足の者共には、お役目の大事を漏らした咎を問うべきかと」

 わしの切込みに対し、和泉守様は数を百余り数える間沈黙された。


「これは登茂恵の私見にございまするが、牢屋敷で取り調べを行う。これが拙いのではと愚考いたします。

 捕らえてある場所で調べを行えば、気が急く者は自白に頼り証拠集めを二の次に致します。これでは、捕まったが最後、無実であろうと罪が定まってしまいまする。

 片やエゲレス・メリケン・オロシャ等の国々では、調べる役人とひとやの役人が異なり、自白よりも動かぬ証拠を重んじるよし

 これでは外国とつくにの者が、我らの裁きなど信用に値せぬと断じるのも道理かと」

 かなり外国を美化しているが、この世界でも日本人の特質は変わって居らぬ。だから和泉守様は、

此度こたび不始末ふしまつ、繰り返しては大樹公家の天下を揺るがしかねぬ。

 わしは引継ぎが終わり次第、職を辞す。故に残る者へと申し送りになると思うが、獄と調べの分離について衆議に掛けようと思う。

 痛め吟味は我ら重役の許し無くば出来ぬ事と為っては居るが、そのやり方が今の如き有様では、また同じ事が起きるであろう事は疑いない」

 このように明言して、わしの申す外国を鑑とすることにしたようだ。



「はてさて。腹案無しでは衆議に掛ける事も出来ぬ。どうするべきか……」

 和泉守様があれこれ思案を始めると、

「登茂恵はきついのう」

 入れ替わるように大樹公様がわしに話し掛けた。

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