転ぶ稲妻

まろぶ稲妻


「トシさん。おらも今年で十七だ。そろそろぼうは止めえや。

 俺には宗次郎そうじろうっつー名前が有る」

 世話を焼くトシ殿をうざったがるのは、未だ甲高き少年の声。

 数え十七の五月ならば、満に直して十五の春。つまり平成ならば高等学校の一年生に当たる。



 前世の平成に於いて、高一男子と言えばいくら大人ぶった所で稚気盛んなお年頃。

 無論大人としての振舞いも出来ない訳では無いのであるが、なまじ身体だけが大人になって居るせいで、中学生よりも遥かに子供っぽさが目立つのだ。


 それは男子の方が特に顕著である。

 例えば入学式の帰りに他所の学校に殴り込みを掛けて在籍二日目にして退学を言い渡されたり。

 例えば校舎内全部を使ってかくれんぼをして、同学年の女生徒からも呆れられたり。

 例えば好奇心に負けて火災報知機を鳴らし、説教部屋で木刀を並べた上に正座させられてヒィヒィ泣き言を抜かす。

 大人でございと言い張っても、所詮そんな程度と考えれば良い。


 当世は前世に比べ、寿命いのち短く早く大人になる時代ではある。

 しかし十五と言えば元服間もない歳であり、平成で言えば二十歳前後の孺子こぞうにしか過ぎない。



「トシさん。行って来らぁ」

 副将の宗次郎そうじろう殿が、前へと進む。

 おや? 彼は常人とは真逆に、左足が前だ。

「サウスポー」

 知らずわしの口から洩れだす呟き。



 剣術とその流れを汲む剣道の構えは右手右足が前。西洋剣術であるフェンシングも同様である。

 これは咄嗟の反応にその方が早い為であり、東西の剣術以外にもバトミントンの構えが同様。

 そして、実は腰に捩じりを入れた動きよりも、体に負担なく力を引き出す動きでもあるのだ。

 嘘だと思うならば、相撲の力士のテッポウを見よ。



「始め!」

 相撲の行司を剣術に取り入れたのは、竹刀を使っての試合稽古が盛んになった頃だと言う。

 竹刀で打ち合う稽古は、あくまで真剣を使った戦いに勝つための方便である。その形や形式も、後の時代の剣道とはかなり違っていた。


 トンと踏んだ足音一つ。でかい音を立ててしなう竹刀。面の喉元に吸い込まれているその切っ先。縦であった筈の竹刀の峰は、入れた瞬間に抉る回転で真横を向いている。


「これは……」

 何と言う素早さ。わしも岡目八目だからなんとか見えたのであるが、過程を見取れなかった者は間違いなく首を傾げるはずだ。

 なぜならば咽喉に入った筈なのに、相手は自ら咽喉を切っ先に突き立てるように前屈みになって居た。解り易く大袈裟に言うならば、くの字になって自ら竹刀に咽喉を差し出して来たかの様になって居る。



 信じられない現象に、審判の声が無い。


行司ぎょうじ! どうなった! 咽喉に綺麗に入っているぞ」

 はっとした審判は、

「一本! 突きあり」


「今のは? 三段ですか?」

 判って居るのは唯一つの突きでは無い事。少なくとも三つは入っている。そして彼の体裁きが従来の剣術とは全く異なる事。

 普通の者に見えているのは、左半身で腕を畳んでいる宗次郎殿の姿のみであろう。


「ああ。三つはかてぇな。右向う脛・右腰・左胸と見た。咽喉は決まり手にする為、軽く添えただけだ」

「入ったのは右向う脛ではなく、左太股の付け根内側に見えましたが」

「そっちか! えげつねえな」

「左足付け根の太い血脈、刀に護られていない右下腹。そして刃筋をあばら骨と水平に回して叩き込んだ左胸。位置は勿論、心の臓」

 わしの見たところ、貫いたのは何れも試合では無効のだが、真剣なら致命傷となる位置だ。

 しかも介者剣術でも護られていない脚の付け根。そこを真っ先に断ちに行っている。


「言われてみれば……。向う脛は掠めただけかもな」

 わしやトシ殿でも確証を持てない程はやき三段の突きが、稲妻が転がるかように吸い込まれたのは確かだ。



 試合は宗次郎殿が連勝して大将まで攻め進んだが、結果は練兵館側の辛勝。

 だが、勝ちはしたものの大将の春風はるかぜ殿の顔は優れない。

「宗次郎! 見覚えたぞ! 次は勝負でも勝つ!」

 試合だから勝てただけで、真剣ならたおされていた。それが判っているだけに、負けず嫌いの春風殿はキリキリと歯噛みして悔しがっている。


 そんな試衛の講場こうじょうに、

「先生! ご出世の機会だ! 腕さえ立てば仕官が叶う」

 門弟の一人が転ぶように駆けこんで来た。

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