破天準備
●破天準備
「おや。もう、酒が無うなったのか……」
いくら大人数とは言え、四斗樽で二つ買った酒がもう殆ど無い。聞きしに勝る
「無うなる思うて、さっき家の者を使いに出いた。そろそろ大八で届けてくれる筈けんど……。遅いのぉ」
「では素面のわしが行って来るよ」
「私もご一緒致します」
話の興に乗っていたわしも手を挙げた。
すると当然。お供で護衛で副官である
「姫さん行かすならわしも行く」
この頃には宣振も相当出来上がっていたが、供が出来ぬ程ではない。平静通りの護衛の任に当たれるかと言えば難しいが、ここは平和な高知の街である。酔っぱらって居ても構うまいと思って居たのだが。
「おう。以蔵さん。今日はあんたの出世祝いやき、こっち来てもっと飲め」
「そうや。昼の日中や。若様は強いと聞くき、忠次郎で十分やよ」
宴会の主役は、高知の治安を信じる酔っ払いに捕まった。
「順序が逆に成りますが、私が参って忠次郎殿が供と言う事で参りましょう。
宣振には酔客の相手をお願い致します」
言い捨てて、返事を聞かずにわしは外に出た。
「酒の手配は、本家でしたね」
「ああ、才谷屋や。土州一番の豪商や。
借金しちゅー武士は多いき、身分は
会話を続けながら、わしは忠次郎殿に先導させる。そうして道々の要所要所で振り向いて、辺りの様子を確認した。
「何をしゆーのやか?」
「道を覚えています」
簡単にそう言ったが、正確にはそれだけではない。
実は前世の習い癖で、遭遇戦を想定した遮蔽物などを確認していたのだ。
何故か? 戦地は勿論戦後の混乱期でも化学技師時代の海外でも、これで何度も命を拾って来たからである。
経験上こう言った事は殆どが何事も無く無駄に終わる。否、無駄に為るのが最高だ。
しかし、百中九十九無駄になると解って居ても、わしはその一に備えてしまう。何せ世の中には、平和なはずの空港や街中で機関銃を乱射する手合いも存在するのだからな。
とは言え。今は戦地でも無く、腕っぷしが幅を利かす戦後の闇市でも無い。
何事も無く才谷屋まで辿り着いた。
「坂本の使いですが」
忠次郎ば声を掛けると、
「酷く忙しくて遅れました。今、大八が戻って来たので届けます」
四斗樽ともなると、人の手で運ぶのには骨が折れる。馬方を呼んで振り分けに運ぶならぱ左右に二斗樽を振り分けるのが尋常だ。それが四斗二樽では、幾ら
大八車に積んで、縄で確りと結わえようとするが、任された
「駄目です。貸して下さい」
見かねてわしは申し出た。
実は前世。蚕棚で運んでもらう時に、仲良くなった海の人に、幾つかの把捉術を教えて貰って居たのだ。
「これで大丈夫」
教わった把捉術の一つ。今やって見せたのは破天準備と言われる縄遣いで、重量物を小揺るぎもしないよう固定することが出来る。
余談であるが。帆船時代の大砲は後の時代と異なって、据え付け固定されていない。
だから嵐の前にこうしておかないと、大砲が船の中を暴れまわって、船は壊すは人は殺すは碌な事に為らないのだ。
そう言えば。ふとわしは前世の頃を思い出した。
孫の一人が小学校五年生の梅雨の頃だった。
取っていた学習雑誌にビクトル・ユーゴーの短編が載っており、読んだ孫を憤慨させたのは、確か「戦艦クレイモア号」と言うタイトルだったことを覚えている。
その時クレイモア号は、革命で亡命していたフランス貴族の将軍をフランスに運んでいた。
その夜トラブル発生で固定が外れ暴れまくる大砲から命懸けで、将軍を救った砲手長は、艦長の計らいで助けた将軍から人命救助の功で勲章を与えられた。しかしその直後、同じ将軍が砲手長を大砲固定の甘さを咎として銃殺刑に処すよう命じたのだ。
理由は、固定を外れた大砲のせいで何人もの人が死に、船首と船腹に穴が空き、三十門の大砲の内二十門が破壊されたからであった。
孫は何でと不満がったが、当時のフランス海軍の軍規では、固定が甘くて船舶破損や死傷者を出した場合、責任者は縛り首になったと言う。
航海中の軍艦は戦闘中の軍艦と同じ事で、不注意で艦全体を危険に陥れたのだから。その罰を受けねばならないと。それを銃殺に替えたのは武士に切腹を命じるのと同じで、実は勲功者に対する温情であったのだと説明しても、昭和も東京オリンピックを過ぎた後に生まれた子供故、なかなか納得せずに閉口したものだ。
やはり人は、生まれた時代から自由では無いのだな。
と感慨に耽っていると。
「なんやここにあるやないか」
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