八斗の酒

●八斗の酒


「お武家様。こまる。それは分家の祝い酒なのや」

 才谷屋の門前。止める丁稚でっちを煩いと突き飛ばし、三人の男がこちらに近付いて来る。


小姓組こしょうぐみの山田の家の者や。そいつは貰うて行くぞ。銭はそれで足るろう」

 ポーンと地面に銭刺しに連ねた三本を放り投げた。

 何様かは知らないが流石にそれは無いだろう。第一その銭では。

「横から祝い酒を持って行くのも困ります。しかし、酒は八斗。三貫では一升が三十五文ではありませぬか?

 近年安くなったとは申せ、これは上酒にございますぞ。現金掛け値なしでも一合四十文は致します」

 十分の一の値で持って行くのは泥棒にも等しい。

「やきどうした。どうせ才谷屋の奢りなんやろう」

「そうや。郷士風情は大人しゅうしていろ」

 なるほど。わしも含めて、服の素材で郷士と見たか。

 確かにわしは、旅装束だった木綿の服に小倉の袴。落とし差しの刀と言う姿で大した身分の者には見えまい。

 だが、木綿は大樹公たいじゅこう様でも着るものだ。素材で判断するとは見る目が無い。



「貴方様は、雛鍔ひなつば様にございまするか?」

「なにぃ?」

「銭を見て雛人形の刀の鍔かと仰る、やんごとなきご身分のお方なのかと聞いて居るのです。

 魚が切り身で泳いでいると思われる。お屋敷から一歩も外に出た事も無いような、高貴な姫様に在らせられますのか?」


 わしは煽る。ここでそうだと言うお馬鹿さん。あるいは反対にこちらの意図を解った上でそう答える怜悧れいりな者ならば致し方ない。

 馬鹿を相手するのは時間の無駄であるし、全て見切った者ならば、彼の顔を立てて大人しく引き下がろう。

 だがな。この手の威張りん坊はそう言わないと相場は決まって居る。手も無くこの程度の煽りに逆上のぼせて仕舞うのだ。


 ほら、耳が赤くなる。ほら、刀に手を掛けた。

 わしは喧嘩を売らせるのに都合の良い奴と認める。


「後生楽なお方ですね。刀に手を掛けてどうなさります? 上士といえども抜かば只事では済まされませぬぞ」

 わしは最初から喧嘩上等だからこそ言える言葉を吐いた。

「なんやと!」

 いきり立つ男達。だがわしの舌刀ぜっとうと集まって来る野次馬においそれとは抜けなくなった。


 良し頃合いか。後は彼らの器量次第。

「ここまでく以上。上の命により買い付けに来たお方とお見受け致します。

 ならば相場の銭を支払う限り、お役目大事とお譲り致す事にやぶさかではございませぬ。

 しかし、仮にも銭を持って買い物する大人が、買う物の値を知らぬのではお話に為りますか?

 私は斯様かようにに申し上げておりますが、如何に?」

 わしは面子と実利を同時に満たす落とし所を用意して、溺者に放るロープのように投げ掛けて遣った。


 沈黙が彼らとわしらの間に流れる。


「尋常の値で、銭払うたら譲る言うがよな」

 山田殿が、相場の金を払うなら譲るのだと言うのだなと聞いたので、わしははっきりと口にした。

「如何にも。こちらは私事わたくしごとの祝いにて、山田様はおおやけのお役目にございますれば。

 公が私に先んずるのは当然のよし

 構えて申しますが、ご身分に譲るのではございませぬ。お役目に譲るのでございまする」

 お前の身分など知った事か。と毒を吐きつつも、公務だから譲ると退く。


 山田殿はじろりとわしを睨んだが、

「そうか。解った。おい丁稚」

「へい」

「小姓組・山田家嫡男のわしが掛け売りを申し付ける。銭の用意があるき、この場で銭で払うやったら如何程か?」

 と丁稚に酒の値段を聞いた。どうやら上手く算盤を弾けたと見える。

 問われて困り顔の丁稚に山田殿は言った。

「なに、東洋とうよう先生に命じられた酒や。後で必ず払うき、案ずりなさんな」

 なるほど。八斗もの酒である。やはり命じられたものであったか。


 丁稚が宙で親指と人差し指を動かして、

「へ、へい。現金掛け値なしとして三十二貫になります」

 と勘定を教えると。山田殿は懐紙を取り出し、

「今の三貫は手付じゃ」

 と言いながら、この場で一筆認めて渡した。


「山田殿」

 わしが呼び止めると。

「まだ何かあるのか?」

 不機嫌そうに言葉を返す。


「丁稚がおたなの商売を決める事など出来ませぬ。せめて番頭を呼んで話をお着けになるのが筋かと」

「なるほど。確かに道理じゃのぉ。おい。案内しろ」

 山田殿は丁稚に案内されて店の中へ入って行った。


 遺されたのは、わしらと山田殿の連れの者。

 身形からして連れは山田殿と大して変わらぬ身分のようであるが、黙って口を挟まなかった所を見ると、彼らの代表格が山田殿で有った事は明らかである。

 それが一つ重しが取れて、わしらに向けて険悪な眼差しを突き付けて来た。

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