父の羽交

●父の羽交はがい


 参勤交代は、奥方様と継嗣をご府中ふちゅうに置き、当主が一年置きに国許くにもととご府中を行き来する。三代大樹公たいじゅこう様の御代に定まった制度である。

 今ではそれも様変わりした。近年の江家こうけの場合、ご当主様がご府中に到着して一月後、代わりにご継嗣様が国許へ帰り、次の年にはご継嗣様がご府中に到着して一月後に、今度は代わりにご当主様が国許へ向かう。そんな形に為っている。

 当主様だけの参勤交代より費えは嵩むが、大藩にだけ許された事でもあるし、国許とご継嗣様が近しくなるのは悪い事ではない。



 六月二十七日。四日続きの晴れ渡る空の下、訪ねたご府中江家下屋敷。

 その奥座敷にて。


「おうおさち。息災であったか?」

 如何に大樹公様直臣扱いとは言え、ご継嗣様とわしは上司と部下の関係だ。だからその積りで対応して来た。

 しかし江家当主の場合は、わしが未だ未成年のせいもあって父と娘の関係の方が遥かに強い。

 なので、

ちこう。父が抱いて進ぜよう」

 こう来られると逆らえない。これも孝行とばかり、されるがままにして居れば、

「そうしてると、さしもの登茂恵ともえ殿も形無しでございますな」

 奥方様は殿様の胡坐の中に納まったわしを見て、鈴の様な声で笑われる。

 確かに父の腕に抱かれたこの状態であると、自然に背比べしてわしの身体の小ささが際立ってしまう。


「母上。左様にございますな。

 天下の薩人と斬り合った鬼斬り様も、こうして居るとまこと十一の子供じゃ。

 父上も独り占めなさらず、私にも抱かせて下され」

 ご継嗣様も、神妙に実父の膝に収まっているわしを弄る。


 この状態では何を言っても自爆する。

 それはあたかも、前世で満三歳の曽孫のショウがどんなに格好良く変身ポーズを決めたとしても、回りから可愛いとしか言われなかったのと同じだ。


 憧れのクローク・ライダーの変身ベルトを腰に着け、回らぬ舌で、

「可愛いって言わないでぇ~。カッコいいって言ってぇ~」

 などと抗議した所で。

 それでは可愛らしさを積み増すばかり。絶対に格好良いなどとは言われる事はあるまい。


 まあ、わしの昭和ギャグの「よっこい正一」を真似て、

「どっこいショウちゃん!」

 とか、

「ショウちゃん。恥ずかしながら○○したよ」

 とか言っている子を、可愛いと言わず格好良いと言うのには随分と無理があるのだが。


 わしを猫可愛がりにする父上。それでも、父上に続いて奥方様などとならなかった我が身の幸福を噛み締めよう。



「ところでおさち

 わしを膝に抱いたまま父上が、機嫌良さそうに話を切り出した。


「お幸が絵図を引いた大筒おおづつであるが、完成したぞ」

「出来ましたか!」

 迫撃砲が完成したのなら、歩兵の戦術が一気に広がる。


「お幸は大筒が好きじゃのう」

「それで、如何程の物に成りましたか?」

 わしの問いに父上は、

「上出来じゃ。旧来の大筒と変わらぬ程遠くへ飛び。小さいといえども正しく矢継ぎ早に撃ち放てる強力なつつとなった。

 人が担いで運べる重さで、馬匹の背に載せて運べる故、今までにない用い方があるだろう。問題は、余りにも素早く撃てる為、あっと言う間に撃ち尽くしてしまうくらいか」


「父上。これを……」

 わしは懐から、土産の本を取り出した。

 字の上手いお春に筆耕させた冊子で、美濃半紙を小学校の文集の様に二つ折りにして四つ目綴じにした、平成で言うB6版の本である。

 所々の挿絵や図解は、絵図と科学的素養のあるふゆ殿に描かせた物を表具師に貼り付けさせた一品物だ。


「写本にございまするが。巨勢こせむすめであるははの家に伝わる秘伝の一つにて、石灰窒素法と申します。

 これを用いれば、石炭いわき石灰いしばい。それに水と空気さえあれば、無尽に玉薬が生み出せます。

 最初にお金は掛かりますが、作り始めれば国許で始められている硝石丘のように長い時間も掛かりませぬ。

 何より今後、外国とつくにから煙硝を買わずに済むようになります」

 自前で大量消費に備えた火薬の手当が叶うならば、今とは比べ物に為らないくらい贅沢な運用も可能になる。


「空気とは何である?」

 そうか。父上に空気では通じぬか。

「ここそこに有る物で、桶を伏せて水に沈め引っ繰り返した時に出て来る、泡の中身にございます」

「そうか。わざわざ揃える必要はないであるな」

「はい」

「そうか。貰っておこう」


 わしの返事で話を終わらせた父上は、今度は酷く物憂げな顔になって、

「今一つ。聞けばお幸。京師けいし出張を命じられたようだな」

 と、先だってのご公儀からの通達に話を移した。

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