蒼天当に墜つとても

●蒼天まさつとても


 聞けばわしの様子は、江家こうけのご府中屋敷を通じて定期的に国許に送られていると言う。


「おさち兵法ひょうほう・大将の才があり、別式女べっしきめに成りたいと言う望みは知っては居た。だが、よもや新たに、上様直々の兵を組みて差配するとは思わなかったぞ。

 しかも前代未聞の御前出入りを企て。二度も水府浪士の襲撃を防ぎ。化粧の品を生み出して奥の伏魔殿を味方に着けるとは、破天荒が過ぎる。

 いったい誰に似たのやら……」

 父上は固く、膝のわしを抱き締める。


「娘とは、何れ他家にれてやるものだ。今のおさちより幼くして嫁いだ者も少なくない」

 しんみりと、父上は少しばかり大きな声で呟いた。


「であるが。お幸の在り様には驚かされる。いったい何を、舵にしおりにしておるのだ」

 面と向かえば言い難い話を、親鳥の雛を羽交いで護るが如くわしを抱く今。そっと後ろから問うて来た。

「さして面白く気も無い世の中でございまするが。だからこそ、幸は面白く生きて見たいと思うております」

 もしも前世と同じ明治の代が来るのならば、今世はわしにとって詰らないものに成ってしまう。

 なぜならば。前世のわしが祖母から聞いた明治の御代は、女にとってそれ以前よりも住み難い世の中であるのだから。



 前世では、明治よりさらに昔。結婚はお家とお家を繋ぐものであった。

 平均寿命も短く夫婦死別が珍しく無かったこともあって、当時ははっきりと妻の財産と夫の財産が分けられていたのだ。


 これが明治期に入ると、お家とお家を繋ぐものと言う性格よりも妻が夫の家に入ると言う性格が強くなる。ただそれでも、一家の家計を取り仕切るのはおふくろ様であり、一家の経済は主婦の手に委ねられていた。

 だから、キング牧師による公民権運動に到るまで、主婦が自分の銀行口座を開けなかったどこぞの国よりは、女性の財産権は有ったと言えるだろう。


 経済的には欧米列強と比べて権利を持っていた八島の女性であるが、政治に関る事は殆ど権利を所持していなかったのだ。それは富国強兵を進める政府が、兵役の義務を負う男性を優先したためだ。

 欧州に於いて平民に対する参政権は、兵役をく時その義務に対する権利として与えられたと聞く。

 嘗て帝国陸海軍が参政権を兵役を修めた者に限定しようとし、総力戦に備えた国家総動員法に因って婦人も否応が無しに戦争に組み込まれてしまった事に対し、戦中から参政権が予定されていたのもひとえにこの為であったのだ。

 そして幸いにして今、わしは権利を勝ち取る手立てと力を持っている。


「そうせい。されど……それは修羅の道であるぞ」

 父上様はわしの背を押しながら静かに言う。

 だがわしは、そんなことは生まれる前に決断している。前世で下士志願を決めた日から。



「お幸は信じる道を進むが良い。だが忘れてくれるな。

 如何なる仕儀に成ろうとも、お幸はわしの娘である。血こそ分けては居らぬが、長門守ながとのかみは兄でお都美とみは母なるぞ。

 仮令たとえ敵味方に分かれるとも、真田の兄弟のようにあれ。決して義朝よしとも公や頼朝よりとも公の如くあってはならぬ。良いな」

「はい。しかと心にりましてございます」

 わしが神妙な顔でそう答えると、父上はさらに駄目を押す。


「生前お寅が申しておったのだが。父母兄弟は人のぞ。如何に煩わしくとも切っては為らぬ。

 仮令たとえ天が回るとも。江家こうけ烏有うゆうし、蒼天まさつとても。世人よびと全てがお幸そなたを捨つるとも。

 覚えて置くが良い。我らは常にお幸の味方じゃ」


 父上やご継嗣様は江家にあり、わしは今の所大樹公たいじゅこう家に属する。

 時勢によっては相討つこともあるかも知れない。それでも……。と父上は念を押した。

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