ハリスの疾風2

●ハリスの疾風2


「ハリス殿」

 大樹公たいじゅこう様に促されて、わしは口を開いた。


「実は先程。エゲレス国のオールコック閣下より、私が申請した特許が通った事をお知らせいただきました。

 発行日は本日。即ち耶蘇やそ様ご生誕より千八百六十年に当たる今年の四月五日。八島の暦にて文長ぶんちょうしち弥生やよい拾伍日より有効となります。

 本日よりエゲレス国土と植民地全てに於いて、我が国の者が申請した特許が有効となりました。誰でもこの特許を用いる者は、我らを開発者と認めて使用料を支払って頂けます。


 敬意には敬意をもって報いるのは我らのコモンセンスにて、快く特許をお認め頂いた見返りに、エゲレス国内で支払われる此度こたびの特許料限定で、その百中三をエゲレス国庫に、百中二をエゲレス王室に捧げる約定を取り交わしました」


「馬鹿な! この国にそのような技術などあるものか!」

 ハリス殿は椅子から立ち上がった。


左様さよう。メリケン国総領事ハリス閣下。貴殿は却下なされましたな。

 貴殿の仰る通り、我が八島の如き『東洋の野蛮国に特許に値する物は無し』でございますならば、このようなくわしい贋金を造る事など叶いますまい」

 我が国の科学技術を侮る者が、何故にこのような精巧な贋金の犯人を我が国の仕業と言い切れるのか?

 そう言ってやったのだ。


 わしの言葉が、オランダ語を経由して英語に翻訳され伝わると、ハリス殿はわしを親の仇か何かのように睨み付けて来た。


「やれやれ」

 わしは肩をすくめて見せ、煽る。如何に業腹ごうばらであろうと、自分が吐いた唾を飲めぬのが外交官と言う生き物である。

「誰か、ハリス殿に例の菓子を」

 と、用意の物を運ばせた。


 盆の菓子は棒状の白い何かの塊だ。

 わしはそれをポキンと二つに割って、

「どちらを選ばれますか? 選ばなかった方を私がお毒見致します」

 言いながら袖で口元を隠し、声を漏らさずピィと口元を作り、東洋の微笑をハリスに向ける。


「こちらを頂こう」

 ハリス殿が片方を取ると、わしは残りを口に放り込み咀嚼そしゃくする。

「なんだこれは……」

「エゾマツの樹脂を採りて、薄荷で香りを水飴で甘味を付けた菓子にございます。

 噛んで味わう物にて、味が無くなれば懐紙に包んで捨てて下さいませ」

「食べずに捨てるのか!」

 おかしいな。ハリスだけに開発中のガムを用意したのだが、どうやら初めて口にする物らしい。


「これを噛むと、眠気が取れ、心が落ち着く効能があると言われております」



 前世知識だが。継続した咀嚼運動は、眠気を防ぎ集中力を上げ、興奮を押え心拍数を整え、精神安定をもたらすと言われておった。

 大リーガーが噛むガムは不謹慎に見えるかもしれないが、咀嚼運動の効用を狙ったものである。



「ふむ。野蛮な菓子だが食えない味では無い。

 そう言えば、メキシコの原住民にもそんなものがあったな。それを真似て噛む為の蝋を売りに出した奴も居たが……。あれは全く味が無かった」

 どうやらガムの存在は知って居るらしい。


「こちらも特許を申請したいのですが、やはり野蛮な風習と退けなさいまするか?」

「申請を出すのは貴国の勝手である」

 ガムを噛んで落ち着いたのだろうか? 先程より落ち着いた感じのあるハリス殿。


「先日の特許の件。

 エゲレスが通したのならば再考する。通すと確約は出来ん。その前にオールコック殿に問い合わせたい。

 なお特許が通った暁には、エゲレス同様の利権を期待する。メリケン中央政府に対し、百中五だ」

 事務的にハリス殿はそう言った。そして幾分とトーンダウンした感じで、

「贋金の件、調査を願いたい。犯人が見つかれば厳罰を求める」

 と口にしたのだ。

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