長今の秘宝1

長今チャングムの秘宝1


「聞けばそなたは、長今チャングムの秘宝なる若返りの秘薬を世に出したそうにございますね。

 大奥の大樹公たいじゅこう様付御年寄おとしより瀧山たきやま様が、十七・八の娘の如く若返ったとか」

 随分と盛られた噂話だ。

「それは大袈裟にございます。

 若返るのではなく若く見える化粧けわいの術にて、それも十歳ととせ程にございまする」

「なんととうも若返るのか!」

「はい」

 身を乗り出す奥方様に、わしもご世子様もたじたじとなる。可哀想にお伊能いの殿はお地蔵様と化していた。


「身体にも良いと聞いたが」

「はい。今の白粉よりも身体に良く、お肌を傷める事はございませぬ」

「いつ、手に入る」

 思わずわしは後退あとずさり。

 奥方様の食い付きが、麩を撒いた池の鯉の如く激しかった。



「ではお伊能殿。お願い致します」

 わしはまだ、化粧と言うものを知らぬ。だから全てはお伊能殿に任せた。

 ご世子様も席を外した奥の間で、タライの湯を運ばせる。


「先ず。今のお化粧を完全に落とします」

 漸くものに成り始めた顔も洗える石鹸を使い、お伊能殿は奥方様の顔を洗う。

 一回、二回、三回。顔の洗浄とマッサージを繰り返し、毛穴にまで入り込んだ白粉を残らずこそぎ落とす。

 そして、蒸したケット(タオル)を顔に被せ、顔の表皮をしっとりさせてマッサージ。

「これが新しき化粧けわい術なのですね。病み付きになりそうです」

 気持ち良いのか、奥方様はされるがまま。


「これから、甘水精かんすいしょう(グリセリン)を擦り込みます。良き油から採った物で、お肌に潤いを与え、お肌の状態を整えます」

 わしの説明に続いて、お伊能殿が手に取ったグリセリンを奥方の肌になじませ擦り込んで行く。


 これは平成の代では、基礎化粧品で肌を整える段階に当たる。

 真に時間の掛かるものであるが、手を抜けば碌な事が無いと粧連の奴が言って居ったな。


「整いました。今から下地軟膏を塗って参ります。これは化粧の下地にて、肌を白粉などから護る物でございます」

 これも話すのはわしだが、行うのはお伊能殿である。

 因みに下地軟膏の材料は以下の通りだが、その配合は柳屋が独自に開発したものだ。

――――

 海藻抽出成分 ガゴメのとろとろ液・フクロフノリの薄紅色素

 黒豆煮汁

 フカヒレ抽出液

 精製サメ肝油・椿油

――――

 耳学問であるがこれらは確か、肌の質感を整えハリと弾力を与える成分・抗酸化成分・保湿潤い成分・保湿抗紫外線成分であった筈。

 これをムラなく均一に伸ばすお伊能殿の腕は良い。



「失礼いたします」

 お伊能殿は手首の血管の色を見た。

「奥方様は基黄きおうにございますね」

 イエローベースは八島の者に多いパターンだ。


「これでやっと、新しき白粉が使えます」

「おお。それが長今の秘宝にございますね」

 お伊能殿が取り出したるはクッション・ファンデーション。これで肌の色味を整えて行く。

「上から筆で仕上げ粉を塗って行きます」

 これはフェイスパウダーに当たる、天花粉と雲母キララの粉を混ぜ合わせた物だ。


「これで、土台は出来ました。いまから仕上げに掛かります」

 頬紅を染め眉を描き。目蓋に程好く陰影を付け。黒目の上あたりから目のきわに線を引く。


「少しお待ち下さいませ。只今、奥方様の肌色に合わせて色を作っております」

 雲母の粉をおでこ・鼻の付け根・目頭・唇の山の上・頬骨の上・鼻先・あご先に上乗せする。

 基本色から肌より少し暗い色を作り、こめかみから糸切り歯の根元を結ぶ線を目安として、顔の形に合わせて、一回り小さく見えるように陰影を与えてボカして行く。


 なんともまぁ。化粧とは厄介な物である。後にこれを自分が遣る事を考えると、前世で化粧時間が長いと叱ったわしを怒鳴りつけて遣りたくなって来た。


 そうして、最後に口紅を載せてかせ全体を微調整。


「出来ました!」

 鏡に映った姿を見て、奥方様は目をぱちくり。

「これが、私でございますか?」

 わしの目にも、鏡は十ばかり若返った奥方様の顔を映している。

「幸! お伊能殿!」

 気が付けば、わしらは感極まった奥方様に、腰の帯を握られており、

「いつ。これが常の物となるのですか!」

 美しきけだものの目が、逃しはせじとわしらを見詰めていた。

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