定礼

定礼じょうれい


 素人が出くわす山の天気の様に、予測も付かない事態の流れ。

 いつ始まってもおかしくない土八どんぱち一味と新撰組の衝突。さらにその新撰組は、水府すいふ派と試衛しえい派による主導権争い。壬生みぶ寺にたむろする隊士達の元に、壬生・鳥居家からの使いが現れたのは間も無くであった。

 使いは目の下に黒々とくまを作り、後ろに死神が取り付いているかのような痩せぎすの男。

 下と書かれた紙を突き出し、広げ掲げて隊士達にう事には、

「そなたらの言い分もっともなり。各々に単衣一具いちぐと銀百匁を遣わす。

 来月より晦日みそかごとに銀六十匁を遣わす。日々の賄いはこれまで通りとする故安堵せよ。

 但し、今より一切の金策を禁ず。不服とあらば召し放つ故、ご府中に戻るが良い」


 お仕着せの単衣は洗い替え。銀六十匁は、相場によって変動するが凡そ四貫(四千)文。つまり小判にして一両の手当てである。



登茂恵ともえ。言われた通りにしたけれど、来月からどうするの?」

 奈津なつ殿に頼んで、壬生鳥居家の京屋敷で一番痩せた男に三日飯を抜き、死相が浮き出るような化粧を施した上で使いに行って貰った。

勿論、費用一切を用立てたのはわしである。現時点において、来月以降の予算は無い。


「それは今日解決する予定にございます」

 わしは悪い顔をして口元を緩めた。



 夕刻。万と言う名の料亭に、一日ひとひの仕事を済ませた商家の主人が集まって来る。

 質素ながら一汁三菜の持て成しを、苦い顔をして口にする商人達。

 酒食を奨めて居たわしは、会食の半ば辺りで話を切り出した。


「皆様。お忙しき中お集まり下さり、まことに有難うございます。

 さて。勤皇の賊が跋扈を始めてより、都も随分と物騒になって参りました。

 それでお上が浪士を募り、これに当らせることになりました。


 されど、彼らを束ねる会津少将家は、京都守護代職就任に当たり足高たしだかが為されましたものの。つい十年程昔まで家禄や身分に関わらず食い扶持のみを支給する面扶持つぶらぶちで凌いでいたお家にございます。

 今も京屋敷の者が、うどん一杯あがなう余裕も無き有様にございます。

 為に、浪士達に渡す手当も乏しく、浪士達は洗い替えすらございませぬ。


 到底これでは真面な御奉公が叶いませぬ。

 それで銘々めいめい勝手に金策に走る様は、皆様のご遺志で払わせると体裁を繕う唯一点を除かば、勤皇の賊と変わらぬ有様。


 皆様のご身代と比ぶれば、銭金ぜにかねたか自体は取るに足らぬとも、急な無心で商いの支払が滞ったり、同じおたなにばかりご負担を負わせてしまったり。

 商家にとって始末の算段が付きかねるのは、まことって迷惑至極と覚えまする。


 そこで、登茂恵ともえよりご提案がございます。

 浪士達に月々、定礼じょうれい即ち定まった礼物を用意して、それでお役目を全うして貰うのです」


 わしが口にするのは、毎月定まった定額献金の要請である。勤皇の賊を抑えるために警邏させるのであるから、その受益者に費用を求めるのは、道理に背く話では無い。

 それに無秩序に乱妨らんぼう取り紛いの無心を受けるよりは、予定が立つ分ましである。


 これは西洋に於いてアルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインが行った、軍税を翻案したものである。

 最終的に取られるものが同じならば、無秩序かつ暴力的な徴収を免れる分お得であると言う理屈だ。


「どこぞの御用金の様に、返せぬ金を貸せなどとは申しませぬ。これは皆様にとって十分に見返りのある費用であると登茂恵ともえは考えまする。


 浪士達のお役目は、京の街を二六時中護る事にありまする。言わば、皆様のおたなを護る番犬とでもお考え召されよ。


 それが例えば、洗濯したので乾くまで裸であるとか、内職の納期の為専念せねばならぬのでは困りもの。いざ賊がお店を襲っても、それらを片付けるまで動けぬと言うのではお話になりませぬ。

 皆様が、銭は出せぬと仰るのならば是非もございませぬ。いつ出来るか判らぬ内職仕事にやきもきして頂くか、あるいは賊に、洗濯や内職の障りに成らぬ時だけに押し込んで頂く他はございませぬな」


 わしが申すのは、予算が無ければ責任は取れない。との脅しである。

 集めたのは、いずれも一廉ひとかど商人あきんどばかり故、当然この流れは予想して来ていたと思われる。反応は「ああ」と言う納得の様子。


「確かに、内職とは言え銭を払う以上蔑ろにされても困る。言うても、それ理由に賊押し込んでも納期を守る為に動けへんでは本末転倒。

 仕方あらしまへんなぁ」

 この場に居る商人の中で、真っ先に定期定額献金に賛意を示したのは井筒屋いづつや善助ぜんすけ殿。糸や絹や油や古手ふるて即ち古着や古道具を商いするであった。


 無秩序に無心され捲るよりはましであると、考える者が現れた機を計って。わしは決断を促す言葉を放つ。

――――

 せきいぬぎょうに吠ゆるは、

 跖をたっとんで堯をいやしむにあらず。

 狗はもとより其の主に非ざるに吠ゆるなり。

――――

 一齣ひとくさり、中国の古典・戦国策の一節をずんじて二息、間を作る。


 町家まちやの者でもここは京師けいし。禁裏に品を納める老舗の主人などは、教養無しでは務まらない。中には宮中の御用の為に、公家から商人あきんどになった先祖を持つ者だって珍しくは無いのだ。

 当然ながらそう言う学のある者は、わしの言葉を正しく理解した。


 犬はを与える者に懐くもの。

 盗跖とうせきに餌を貰う犬が、中国古代の伝説上の帝王である堯に吠え付くのは当たり前。

 つまり自分達に牙を剥かせない為には、お手前達がしまずに餌を与えよ。と。


 こうして、わしが定期定額の予算を取り付けて間も無く。

「登茂恵様! 一大事だ」

 壬生・鳥居家より急を報せる使いが遣って来た。

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