邯鄲の文2

邯鄲かんたんの文2


――――

 神君えて三百年。日は数えられん太平のなだ

 千里寄せ来る潮風に、今しもあおいは枯れんとす。

 し天命をあらたにするを得ざれば、八島は夷狄いてきのままならん。


 国難今ぞ武士もののふは、累代の御恩に報ずとき

 君は菊の、葵に代わりてたおれるを望み、

 僕は菊を咲かせて葵を枯らすも已む無しとす。


 さればたれより強く国を愛せども。

 君の世に僕は居らず、僕の世に君はあらじと言えり。


(意味)


 初代大樹公が天下を取ってから三百年が経った。

 太平洋の向うから来た者によって、太平の満ち溢れた(洋には「満ち溢れた」と言う意味もある)世の中が終わり、大樹公家が治めた期間が確定しようとしている。

 遠くから遣って来た時代の風に、大樹公家の天下は終わろうとしている。

 もしも新しい体制を構築できなければ、この国は外国の思うがままになってしまうだろう。


 国難は今だ。武士が代々の御恩に報いる時だ。

 君は大樹公家の為には皇室の威信などお構いなしとしているし、

 僕は皇室の為に大樹公家の天下を終わらすのも仕方ないと考える。


 だから僕も君も誰よりも強く国を愛してはいるけれども、

 君の望む世の中に僕の場所は無いし、僕が考える世の中に君は存在できない。

――――


 何よりも大樹公の天下を大事と考える中将と、皇室を優先する義卿。

 決して手を取り合えぬと義卿は言う。


――――

 そも二人の名将並び立つは、一人の凡将が采を揮うにかず。

 船頭多くして舟、山に登るの俚諺りげんの如し。


 八島やしま按針あんじんを争いて、遂には黎園れいえん君をころしてまんは、君がしょうや悪たるか? 

 あらず。

 ひとえに両雄ともに天を戴ざるのことわりなればなり。



 僕もまた一個の按針なり。

 さぐりてあきらかなれば、すべからくいのち断つべし。

 僕は死ぬるもうらみなし。命は三十路に終われども、名は百世に垂れん。


 耶蘇やそふみに曰く。

「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」と。


(意味)

 そもそも二人の名将がそれぞれに命令を下すのは、一人の平凡な将が指揮するのには及ばない。

 船頭多くして舟、山に登るの諺そのものだ。


 この国の行く先をどうするかを争って、遂には橋本左内君を処刑してしまったのは、君の心根が悪だったからなのだろうか?

 違う。

 専ら両雄が並び立たないと言う理由だからである。


 僕もまた国の行く末を導く水先案内だ。

 (既にそれは)証明されているのだから、(君は僕を)殺さねば為らない。

 僕は死んでも怨みはしない。三十歳で死んでも名は末永く残るだろう。


 キリスト教の聖書にはこう書かれている。

「一粒の麦がもし地に落ちて死なければ、一粒のままである。しかし死ねば多くの実を結ぶ」と。

――――


「まるで切支丹のようだ……」


 彦根中将は疲れ切った声を上げてぼやく。


仮令たとえ明法家みょうほうか百人に問うても、答えは同じだろう。

 だが、それは天下大乱の修羅の道だ。

 大望の為、態と女々しく泣き叫んで、小人しょうじんを装って他日を期さんとした佐内めにも困ったが。死して不朽を求める義卿めをどうしたら良いものか」


 もう何度目であろうか?

 妙案は無いものかと、中将はまた文を読み返す。



 ルルル、ルルル、ルルルルル。

 庭の暗闇の中で、虫が鳴いている。


 ルルル、ルルル、ルルルルル。

 夢見るように鳴いている。


 天命を知った者の如く。高く高く訴えて。

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