師は強ければ
●師は強ければ
六日続きの晴れの空に、晦日近い暗い月が朝日に掻き消えた時。二通の
「今日は死ぬのに良い日であります」
呟いた三十路あまりの小柄な男は、再び筆を執りて文の冒頭に一首の歌を書き添えた。
朝が来た。
「
迎えに来た役人を
「御苦労様であります」
と義卿は
「如何なりましたか?」
問いに顔を歪めし牢役人は、とても言い難そうに
「本日、死罪と相成りました」
とだけ告げた。
「そうでありましょう。主命に従っただけの
自らの意思で
「先生。何故……」
牢内の者が問い掛けたが、
「さ。参りましょう。案内を頼みます」
皆まで言わせず歩き出す。
そして微塵も顔色も変えず、悠々と土壇場まで進んだ。
「皆様、御苦労様であります」
その体躯こそ小兵なれど。一糸乱れぬ堂々たる態度で端坐した
「おお……」
辺りから嘆息の声が漏れた。
文字通りの土壇場だ。並の者ならば
「義卿殿。これを」
差し出されたのは三方に載せられた一本の扇子。
「
武士にとって、扇子は刀も同じ。扇子を扱う作法は刀に準じるものである。
土壇場においてそれを渡されると言う事は、武士としての体面を保って切腹せよと言う意味になる。
しかし義卿は静かに首を振り、
「駄目であります。死罪と定めたからには、切腹の態を取ってはいけません」
と窘めた。
「法は国の
悪しき先例を作れば、いずれ法は無実のものとなり、遂には
故に無用と脇に置く。
「見分役殿」
どう致しますかと首切り役人が問う。
はぁと息を吐き出した見分役は、義卿に
「遺す言葉はございまするか?」
と低い腰で尋ねる。
ならば。と義卿は紙と筆を所望し、
――――
フレイヘイドの
(意味)
大樹公家が外国から国を護ることが怪しくなった国難の時です。
フレイヘイドの名も無き人々によって、万民がお一人の天子様を戴く国に戻るべきです。
――――
そしてこう言い添えた。
「僕が死すとも。死は僕の勝利であります。
今僕が死ねば、僕の血は種子となって、芽を吹き花を咲かせ実ります」
この処刑の土壇場で穏やかな顔。堂々と断言する義卿は、
「フレイヘイドとはなんでありましょう」
との見分役の質問に
「
即ち、
名君なれども、彦根中将殿は
されどフレイヘイドの者達が、百万一心の
必ずや国の
と説き明かした。そして
「……顧れば此の耿耿として在り。仰いで浮雲の白きを視る」
と中国南宋の忠臣・
――――
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
――――
朗々と辞世の歌を詠み、そしてあたかも茶の亭主が挨拶するかように首を差し出した。
「公儀
累代の家宝・備前長船景光を以って介錯
一閃。皮一枚を残し、椿花と首が落ちた。
後に四谷に住んだこの首切り役人は、晩年、
「いよいよ首を切る刹那の態度は真にあっぱれなものであった」
と、語ったと言う。
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