僕は許さない

●僕は許さない


 刑死より三日。


 南千住は回向院えこういん

 彦根中将ひこねちゅうじょう殿の計らいもあって、義卿ぎけい先生の遺骸は、あっさりと。そう実にあっさりと引き渡しされることに為った。

 だが……。


 突然潮が退いて露わになる海の底。

 雲無き美空が一転、八紘あめのした真闇まやみに閉ざさんとする黒雲に変わる。

 そんな情景が浮かび上がる程の気が辺りを覆い尽くした。


 その中心。春風殿の顔が能面となり、生成なまなりから般若はんにゃそして真蛇しんじゃと怨念の程を進化させて行く。


 大きな桶に無造作に投げ込まれていた血のこびりついた遺骸。髪は乱れ身体は、あろうことか下帯すらない丸裸。



「もし! もうし! 暢夫ちょうふ君」


「なんじゃ!」


 苛ついた声で声を掛けた春輔しゅんすけ殿を睨み詰める春風殿。


まことに真に無念ながら、先生は死罪と相成りました。

 死罪とならばきもは抜かれて人胆じんたんとなり、身は七度ななたび縫い合わされて試し切りに供される運命さだめ

 然るに、かほど綺麗な死体おろくを返して頂けるだけで望外の事。

 此度は弔いも埋葬も許されましてございます。これらはひとえ御様御用おためしごよう役殿のご厚意と感謝すべき筋にございます」


「あん」


 春風殿は低い声。


 余波を喰らっただけでピクンと身体が反応してしまう怒気が、雷霆の如く打ち付けられた。

 それを顔色を変えるだけで凌いだ春輔殿も中々の肝であろう。


「されど、罪人の着物は御様御用役殿の拝領に非ず。身分の低い警吏の役得でございまして……」


「だからどうした!」


 晴れた美空に霹靂へきれきの声。


「僕は大樹公家を許さない。

 断じて許すものか! 断じて許すものか! 断じて、断じて、断じて!」


 山を抜かんばかりの力を込めて、春風殿は心の伽藍に誓う。


 普段はチャラチャラとした春風殿とも思えない雄叫びに、辺りの鳥が一斉に飛び立つ。

 否、一部は羽ばたきも叶わず枝から地面にポトリと落ちた。



幸姫さちひめ様。今ここでお詫びをさせて頂くのであります。

 姫様は今、大樹公の御親兵ごしんぺいを鍛えていらっしゃる。

 もしも将来、姫様が僕の前に立ち塞がられた場合。武士の一分に掛けて手向かい致しまする事を」


「委細承知致します。その時は、私も武士の一分に掛けてお相手致しましょう」


 およそ主家の娘と父の家臣とは思えぬ会話に、引き渡しの役人も威儀を正す。



 望んだが結局、首と身体を縫い合わせることが許されなかった。

 しかしその代わり、身体を洗い清め。皆が少しずつ着物を脱いで先生に着せ、運んで来たかめの中に収め、埋葬の地へと運んだ。これが義卿先生の弔いであった。



 義卿先生死す。

 報せは程無く水府すいふにも届いた。


「赤鬼羽林うりんめ」


 いきり立ったのは水府の若者達。自らを天狗と称する青少年達である。


「羽林討つべし」


 一人が言うと、


「異議なし!」「異議なし!」「異議なし!」


 木霊のように皆が拳を突き上げる。


 物狂おしい熱がその場を支配していた。

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