朱房の十手

●朱房の十手


手前てめぇらどこの者だ」


 横柄に問う縞の道中合羽の男。


「失敬致しまするが、そう仰るあなた様は?」



 男は、トシ殿では無くわしが答えたのに目をパチクリさせたが。

 聞くと懐から朱房の十手を取り出して、


「おらぁこう言うもんよ」


 と踏ん反り返った。


 十手の房は同心身分の証である。それを見せて問うのであれば、平成の御代で言えば警察手帳を示して質問されたようなものだ。

 だからわしは、恭しく小笠原流の立礼をして


「恐れ入りました。三蔵様は八州周りの同心様にございますか?」


 と、確認した。

 するとそいつはばつが悪そうに、


「んなわきゃねえだろう」


 と吐き捨てる。



「はて……。十手の房はご身分の証。

 それでは関東取締出役でやく様から特に許された、同心格の目明し様にございますか?」


「……そうよ!」



 恐らくは十手を預かる者だとしても、懐から取り出したのは勝手に拵えた品であろう。

 誤魔化す様に、男は挙動不審の間を置いて怒鳴った。



「お上より十手取縄を預かる、国分三蔵こくぶのさんぞうたぁ、俺様の事だ」


「朱房の三蔵親分。私共は先程川越に着いた旅の者にございます。何用にございまするか?」


「こほん。そうかい。来たばっかりなら仕方ねえ。だがお役目なんで一応訊ねるが、俺様は島抜け野郎を探している。

 そいつは竹居安五郎たけいのやすごろうって言ってな。新島の名主を殺しその孫を傷付けた下手人で、舟と鉄砲を奪って按針あんじんにする為島人二人をかどわかした極悪人だ。

 俺様も人の事は言えねえ外れ者だが、堅気の連中をりはしねえ。だからこうして、八州周りの同心・佐々木様から、これこの通り十手をお預かりしているのよ」


 そして、間違っても利用され無い様に釘刺しておくと言って、安五郎親分が如何に悪辣な男なのかを語り始めた。



 話し始めて十数えずに、きゅうと鳴った腹の虫に、


「小僧。腹の空いてる所すまねえな。どこから来た?」


「ご府中ふちゅうにございます」


「そうか。少し道中の話も聞きたい。なぁに詰まんねえ話でもいいさ。

 話す値なんぞねえと、勝手にふるいに掛けんなよ。そんな物でも、俺様みてえな腕利きの目明しに掛ると役立つこともあるんでな。

 来い。駄賃に飯をおごってやる」


 悪い人では無さそうだが、強引な男だ。



「関東取締出役・佐々木銀四郎ぎんしろう様配下の道案内・国分三蔵こくぶのさんぞうである。

 御用により、食い捨ての飯を貰う。五人だ」


 食い捨てとは無銭飲食の特権のいである。



「小僧。ここは俺様の縄張りじゃねえ。湯漬けの一杯か、いいとこ賄いの一膳飯だと思うが。

 御用で出させる只飯だから、そこは辛抱しろよ」


 果たして、出て来たのは丼に入った三分搗きの湯漬けであった。小皿で白髪ネギと一匙の味噌。そして沢庵一切れが付いて来る。



「梅酢にございます。湯冷ましで割って井戸で冷やしてあります」


 蕎麦湯のように突き出される急須の中身は、井戸で冷やした赤梅酢の梅酢水うめずすいであった。


「親父。奮発したな? 無理すんなよ」



 人を見た目で判断してはならないと言うのは本当の様だ。

 強面こわもての三蔵殿だが、無暗に十手を振り回しては居ない。



「小僧。それにお供の男。

 ご府中からの道中を聞きてえ。どんな話でもいい。気が付いた事が有ったら言ってくれ」


 それで道中の話をし、合わせて三蔵殿から安五郎とその一味がどれだけ極悪なのかを聞かされる。



 彼の話だけでは、実際に安五郎親分がどうなのかは知る由もない。

 何せ話はあまりにも一方的なのだ。

 前世の万事が発達した平成の御代でさえも、冤罪で人生を棒に振らされた者が、それなりに居たのだから。


 ただ。彼が関東取締出役を後ろ盾に付けた、安五郎親分の宿敵であることだけは間違いなかった。

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