鏡の中のわし

●鏡の中のわし


「何の用とはえらいなお話やな。賢い登茂恵ともえはんには心当たりがあるやろう」

「さぁ。登茂恵にはとんと。山出やまだしの鄙者ひなものにはさっぱりでございます。

 いっそ、蒙求もうぎゅうさえずると言うみやこの雀に、ご下問なさった方が宜しいかと」

 時計が有ればチクタクと、さぞや静寂しじまに響いたであろう。


 敵陣で圧迫面接に応じて碌なことはない。当然わしは撥ねつける。なんとなれば、拝謁は具視ともみ卿の都合に由るものである。あちらから席を蹴る筈も無い。

 真剣を突き付け合うような氷の空気が満ちる中。互いに笑顔の睨み合いは小一時間続いた。


「登茂恵はんは、荒ぶるお馬でおますなぁ」

 折れたのは具視卿ともみきょうであった。交渉事とは常に、相手を求める方が弱いのである。

「登茂恵を含め、東夷あずまえびすと言うものは、とんでもない鄙者故、言葉はまことをお重んじまして、みやびな京のおおせられ方では全く通じませぬ」

「そやな。かしこくも院の御聖旨ごせいしを盾に、遂には六合りくごうの米を平らげましたわな」

 六合りくごうとは天地の二つと四方を合わせた物。即ち天下のいである。かつて後白河法皇が許した兵糧の徴取が、武家による荘園横領の始まりであったことを言って来た。


 わしはそんなことなど知らぬ気付かずの顔をして、飯の話にかこつける。

壬生みぶ武者むさ狼藉ろうぜきも、元をたださば、ぶぶ漬けを召せとの言葉を真に受け、遠慮なしに六合ろくごうの飯を食ろうただけのこと」

 気付いての辞令か、気づかずの応対か。計りかねている具視卿。


雲上人うんじょうびとの侍従様には、思いもよらぬ話にございまするが、我ら下衆げす下郎げろうの鄙者は根が単純極まりございませぬが故、迂遠な言い方では言葉を違えられたと思いまする。

 今までも、やれたばかられた愚弄されたとなれば、武士の一分で刃傷沙汰となってもおかしくはございませんでした。

 それが夕べまで一人の死人も出なかったのは、ひとえに京の蒼生あおひとぐさ主上おかみ大御宝おおみたからにございます故。あれでも堪忍に堪忍を重ねた次第にございます。

 されど。京の治安を請け負う者として。流石に土八どんぱちめが如き無法を許す訳には参りませぬ」

 わしは殊更、公家基準の無教養を武器に具視卿に舌刀ぜっとうを見舞う。


 初代大樹公たいじゅこうに在らせられる権現様は、権威・権力・財力を一手に握る者を創らなかった。

 典型的な例を挙げれば、権威は禁裏と公家が持ち、権力は武士が握って、財力は商人に。

 だから公家と言うものは、仮令たとえ位は臣を極むるとても、その暮らしは苦しい。


 こんな狂歌がある。

――――

 我が膳は わびしからずや 潮汁うしおじる 実の一つだに 無きぞ悲しき

 布衣ほい纏い 髪を隠して摘み草し 手遊てすさび言いて うお釣りを為むせん


(意味)

 私のお膳は侘しくないのだろうか。塩味の汁物に実の一つさえ無いのが悲しい。

(体面があるから)庶民の服を纏い髪を隠して変装して野の草を摘み、

 趣味と称して魚釣りをしよう。

――――

 清華家でも斯くの如き有様と聞き及ぶ。まして半家やその下は……。


 公家には高い位しか無いのである。だから殊更その位を誇る。そして平安の昔から学問と文化の担い手であった故の、高い教養がある。

 無学な武士など、公家から見れば幼稚園で女児が男児を眺めるような感じであろう。

「くすっ……」

 ふと、前世で鉱山開発を遣っていた戦友の、孫の話を思い出し、思わず笑いが漏れた。



 彼の孫娘は、当時二年保育であった為、平成で言う年中さんで幼稚園に入った。

 入園当初の話題は、前年度のヒーローが五人で倒せなかった悪の女王から、たった三人で地球を守れるのか? と言う事だったそうだ。園児らは戦隊物を現実だと思っており、地球は悪の女王に狙われていると信じておったのだ。

 にも拘らず、ヒーローごっこに血道を上げ、必殺技の練習をする男子を女子達は、

「あれはヒーローだから出来るんであって、あんた達が出来る筈ないでしょ?」

 と、実に醒めた目で見ておったと言う。


 因みに彼ら男子らの入れ込みようは甚だしく。後年男子達の中には、小学校の卒業文集の将来の夢に「〇〇シャーク」と書き、成人式後のクラス会で酒を飲みながら「俺は〇〇シャークになりたかったんだよなぁ」と思い出を語る者が居た程であったそうだ。

 中には長じてスーツアクターとなり、三つ子の夢を果たした者もいたとやら。



 わしの漏らした笑い声に、具視卿ははぁっと大きな溜息を吐き、

「腰の低すぎるお武家は敵いませんなぁ。無学な鄙者を武器にされたら、手も足も出ませんわ。

 ほんでも、ほんま山出しやったらまだしも。登茂恵はん、あんたそこそこ学もございますやろう。

 鄙者言うのを真に受けて、半端な手出ししたら痛い目ぇ見るに決まっとる。

 あんたほんまえげつないわ」


 おっと。どうやら具視卿は、独り相撲で土俵を割ったらしい。尤も。これも彼の腹芸なのかも知れないが。

 ともあれ。たった今、あちらの手の内が変わったのは見て取れた。


 人は自らを物差しとして人を見ると言う。

 具視卿の目には、わしと言う鏡の中に具視卿自身の姿が映ったのであろうか?

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