第八章 無法の忠臣

岩倉侍従

●岩倉侍従


 深々と平伏するわしの前に、岩倉具視いわくらともみ卿は現れた。

 わしを呼んだ具視ともみ卿は、位こそ宮中で重きを成す地位には居ない。しかしそれでありながら発言権は強い。

 出仕が許される遥か前より今日に至るまで。かしこくも当今とうぎん様(今上陛下)の爪牙として、銭を作りお手元をおたすまいらす御方であり続けられたからである。

 つまり具視卿のお言葉は、かしこくも御聖慮ごせいりょに基づくものであると見るべきだ。

 故に、わしの応対は言質を取られぬように注意せねばなるまい。


「岩倉侍従じじゅう様。登茂恵ともえ殿にございます」

 僧体の維英いえい殿がわしを紹介した。

大江おおえの長者のむすめか? おもてを上げやで。直答を許す」

大樹公たいじゅこう源家茂みなもとのいえもちが臣、江登茂恵こうのともえにございます。

 ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」

 型通りの挨拶を述べ、顔を上げると。まるでどこぞの親分のような、柔和な顔にぎらぎらしたひとみの光を備えた男が、足の裏を合わせた胡坐で座って居た。


「ほう」

 感心したように声を漏らした具視卿は、

長姫ちょうひめ殿は、お幾つに成られる」

 とわしに尋ねた。長姫とは長門国主の娘と言う意味である。

「十一になりました」

 今世では数え年をもちいるのでそれを言う。


「長姫殿は実力ちからで東国武士を従える女傑。そう聞き及んでおった。

 ばっかりか、天下に名高い薩摩武士と一騎打ちしてたおしなはったとも聞いた。

 あまつさえ、わしが召し使うておった大力たいりき者の土八どんぱちを、一太刀にてほふったとしらされ、さては鬼のような顔をしとるのか思うとったものを。

 よもやくも頑是がんぜあらへん女童めのわらわであったとは驚かされたわ」

 具視卿の声は優し気で、雛人形の右大臣のような穏やかな笑みを浮かべて入る。しかしぎらつく眸は虎の如き様で、このわしを値踏みし続けている。


「登茂恵も驚きましてございまする。殿上人たる侍従様が、土八めのしゅうに遊ばされたとは」

 具視卿は、わしの前世の歴史では維新十傑の一人にして、楠公なんこうと並ぶ大忠臣。回天の大業の陰の立役者であった。

 土八を手下としていたとは。恐らく屋敷で行う賭博絡みでは無いかと思われるが、今世の彼も前世同様、主上おかみの為なら荒事も、汚れ仕事も厭わぬ男のようだ。


壬生みぶ屯所とんしょを襲うたんや。土八の件は当義殺とうぎさつやったと赦しまひょ」

 暴走した手下に責めはある。具視卿のはらの内はどうであれ、こう言うしか仕方あるまい。


「御寛恕頂き、有難く存じ上げます。壬生の浪士は武士為れば、決して公家の米櫃こめびつに手を差し込む真似など致しませぬ故、ご安心下さいませ」

 わしの見る所。土八と新撰組の利害の衝突はなかった筈。衝突があったとしたら、それは二条新地の親分との間のもの。会津繋がりで親分と繋がるものと見做し、ちょっかいを掛けて来たと言うのが発端と思われる。

 或いは自分の縄張りに手を出す輩と考えたのであろう。土八が男伊達を売り物にする渡世人もしくは稼業人である限り、子分の手前後には引けなかったと思われる。


「そやけど。もう少し穏便には済まされへんかったのか?」

 と、具視卿は仰るが。新撰組は勝手金策を行おうが武士である。往来での挑発ならば堪忍しようもあるが、在所を襲われて黙って居るなど考えられぬ。しかも、黙って帰れば見逃がす。との最後通知を、何もできまいと鼻で笑ったのである。

 後は命の遣り取りしかなかった。


「刃を抜いて掛かって来た以上、是非もございませぬ。この登茂恵ともえとて、もだしてくれてやるほど廉い命ではございませぬぞ」

「怖いなぁ。お武家は怖い」

 わざとらしく具視卿は囃すが、わしに言わせれば正反対。

「京の土産は針と聞きます。見かけは小さく無力なれども、針は手も無く人を殺め得るとか。

 登茂恵の如き鄙者ひなものなど、侍従様のほうが一振りで、比礼に追われるおろちや蜂と相成りまする」


 敵対しても武家ならば、武力抵抗を試みる事が出来る。しかし主上おかみを擁する公家はそう単純には行かぬからなぁ。うかうかするとあっと言う間に朝敵となり、全国の武家が反目はんもくに回る。

 抗うとすれば。官軍をして外国人を攻撃させるよう仕向ける他は、わし程度の知嚢ちのうでは思い付かぬ。我は官軍と言う大義名分は、諸外国には通用しないからだ。

 とは言え、長期的には八島を外国の植民地にしかねないとんでもない鬼札である。願わくばその策を用いずに済ませたいものだ。



「さても侍従様。今日、登茂恵をお召しに成られたのは、如何なる御用でございましょう」

 軽いジャブの応酬を経て、わしは前世における十傑の一人に向けて、舌刀ぜっとうを正眼に構えた。

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