一撃必殺

●一撃必殺


 牢名主の声と共に、牢の格子を背にしたわしは、四本を握り親指を立てたサムズアップの手から、人差し指の第二関節から先を伸ばし、親指と小指で締め付けるようにして拳を固める。

 奇怪なこの握り方は、わしが習ったやわらの流儀。何故と聞くなら教えよう。この握りだと仮令たとえ防いだ肘と正面衝突しても親指を傷めることがないからだ。



「ぐぅわ!」


「あたたたた!」


 左右から掴みかかって来るのを裏拳で打ち払った。確りと痛点を突いているからダメージの割に与える痛みは増加する。痛みに蹲った奴の顎に蹴りを見舞い、脳を揺らして無力化させた。

 殺す積りなら、ここで喉笛を体重を掛けた踵や足刀で潰す所だが、今は呼吸が難しくなる程度に踏みつける。

 間近の男の外側の袖を掴んで引き寄せて、顎を掠める掌底を繰り出し、肘を極めて放り出す。



 稽古の型通りの三分余。掛って来た男達は皆板の上に倒れていた。

 ある者は口から泡を吹き、ある者は関節を外された腕を抱え、またある者は腹を抑えて蹲り、脂汗を垂らしている。


 牢内で無事でいる者は、わしを除くと牢役人達と牢名主の浪人風の男。

 浪人ならば本来は士分の牢に居るはずだから、特別わしが酷い扱いでも無さそうだ。



「三の字……」


 牢名主が名を呼ぶと、傍らの牢役人が腰を上げた。どこぞで褌担ぎでもやっていたのだろうか。ずんぐりとした達磨のような体格で身の丈凡そ六尺(百八十センチ)余り。腕は今のわしの太股より太く、あ奴の太股は胴回りよりも太い。

 隔絶した体格の差は圧倒的で、力のみでぶつかれば先ずわしに勝ち目のない相手だ。



「いい気になるなよ小僧」


 牢名主が睨んで来る。

 出来る。蹲踞して片手を付いたは、相撲の立合いか?

 子供を相手に獅子欺かざるの心得とその面構え。相当人を殺し慣れていると見た。

 わしとて、前世での殺生なら負けん。時には刀や銃を持った敵兵を、柔で屠って来たのでな。

 お互い躊躇ためらいが無い上に、手を血で染め抜いている。だから遣れば殺し合いとわしは踏んだ。



「ふっ」


 わしは挑発の為、鼻でわらって見せる。



 腕は互角、殺すに全く躊躇いが無いのも互角。

 リーチや体躯たいく膂力りょりょくはあちらが圧倒的。しかし、前世でり合ったアメリカ人。子供の頃から殴り合うのが一番楽しい遊びだったとうそぶいていた、テキサンの大男と比べると可愛いものだ。

 だが人殺しの経験はわしの方が絶対的に上だろう。円匙えんぴで敵の首を飛ばしたこともある。

 総合的に見れば互角と見た。ならば少しでも頭の冷えている方が有利なのは道理。既に舌先で闘いは始まっている。



「何がおかしい!」


 怒鳴る三の字。

 それを見てわしはあざける様に、


「それほど、今日は死ぬには良い日にございまするか?」


 なおも煽る。


 おうおう。頭から湯気を出しそうなくらい逆上せ上がっているわ。


「言わせ置けば小僧!」



 あ奴が頭の血を降ろさねば先ず負けは無いだろう。

 すっと前に踊り込んで来る所を狙い済ませ、身を沈めて足の裏から足首、膝、股、腰、腹、胸、肩、肘、手首。間の関節を同時に稼働かどうさせる。

 そして彼をわしの制空権まで待ち受けて、


「きぇぇぇぇ!」


 ましらの如き雄叫びと共に。

 トン! と床板を蹴り出し、次の瞬間すっと入り込む掌底が奴の左の胸を捉えた。



 まるで映画の如く静止する三の字とわし。


 ごくり。辺りの者の息を飲む音が響く静寂の中。

 にやりと笑う三の字の顔。


 だが。ぐらりと崩れた三の字は、胸を押さえて全身で藻掻もがく。

 しゃくり上げるように。まるで空気を大きく飲み込むような仕草に見える、喘ぐような呼吸だ。



「三の字!」


 牢名主が身を起こした。

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