第十章 攘夷の勅諚

オロシャの使い

●オロシャの使い


 見よひるがえ八島やしま総船印そうふなじるしは日の御旗みはた

 旗の下で一節、また一節と。朗々と響く我が声を、オランダ語で良庵りょうあん殿が追い掛ける。

 尤もこれをあちらから見れば、人に担がせたお駕籠で来る良庵殿が貴人に見えるであろうがな。


「その勇ましき御旗は、オロシャの物と存ずる。

 国の威信を懸けての行進、はなはだ感服つかまつり申した。されど京師けいしの護りに携わりし者である小官に、貴君らを通せと言う命令は届いては居らぬ。


 これより先はミカドのおわす京師。もう何百年も外国人の立ち入りを許可していない聖なる土地なり。貴君らの話を、必ずおかみのお耳に届ける事を約す故。今日の所はお帰り願いたい」


如何いかにも我らはツァーリの下僕しもべ。この国のまことあるじミカド陛下にご挨拶に参った。


 我らは貴国を黄金の国と聞く。夥しき黄金の産する国ジパングと。

 されど、我らが欲するは掘れば減る黄金に非ず。永遠に生み出される高貴なる紫の絹である。

 禁色きんじきの紫は、ミカド陛下の勅許ちょっきょが無くば世に出せぬと聞く。

 我らは主ツァーリの威信と御下賜を受ける家臣の為に、格別なる計らいを望み紫の絹の交易を望まん。


 勅許を得るに当たり、我らは代価とは別にミカド陛下に献ずる黄金と我が国の産物を持参致した。

 大陸の半分を占める我が国が、くもを低くしてこいねがうのである。

 礼を知ると言われる八島は、く疾く謁見の場を設けよ」


 口上はいささか強引な所はあるが、良く聞けばそう礼を失した物でもない。

 ただ己の武を頼む所が大きく、軍勢を見せての交渉だ。


「オロシャのツアーリの御使者ならば尚更の事。貴君らを辱めぬ持て成しが必要なり。

 突然の事とて、只今当方に供応きょうおうの備え無し。日を改めてお出で願いたし」

「心配に及ばず。ミカド陛下への拝謁に勝る供応無し」

 押して通らんとするオロシャの使い。


登茂恵ともえ殿」

 ただならぬ空気に良庵殿が声を上げた。

 その時だった。


 ターン! 鳴り響く銃声。

 決して交わらぬ平行線を辿る交渉の最中。それは起こった。


 馬上の登茂恵ともえの間近に土煙は立つや。ターン! 続けて二度目の土煙。

 脅しの為の威嚇射撃かと思った瞬間。三発目が掲げた旗の綱を切った。

 日章旗がひらりと半旗になる。


 手元が狂えば被弾していた一弾に、

「撤収!」

 わしは交渉を諦めて馬首を返す。

 慌てて駆け戻る駕籠の後ろ遠くから、

「誰だ!」

 あちらも不本意だったのだろう。悲鳴のようなオロシャ側の叫び声。


 ターン! なおも続く銃撃に、わしは馬を駆けさせつつ自陣へ後退。

 自陣に逃げ込むわしの後ろから、騎馬が駈歩で追い掛けて来る。

 わしの身を案じた御親兵ごしんぺいからの応射が始まると、後はなし崩しだった。

 こうして、オロシャの使節との間に、偶発的な戦端は開かれたのである。



 逃げ込んだ隙間を鉄条網で閉塞した直後、張り付いた騎兵に向けて横合いのトーチカから応射。

 先頭の騎兵が咄嗟に投げたサーベルが、べトンの壁に当たって鉄火を散らす。


「精鋭ですね。トーチカでなくばやられてました」

 お土居どいに築かれた急造の陣。そこに身を隠し待ち受ける御親兵に対し、オロシャ騎兵の一部が突撃を敢行。しかしこれは石に向かってガラスの瓶を投げつけるような物で、忽ち粉砕された。

 拍子抜けするくらいあっけない。だがさしものコサック騎兵も、数騎程度の小出し戦力を堅陣に繰り出せばこんな物である。

 しかし問題は、これでオロシャ側が引っ込みが付かなくなったことである。

 改めて大砲を放ち、弾の撃ち合いが開始された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る