埒を明けん

らちを明けん


 昼前。御親兵ごしんぺいの宿舎に充てられた寺で、わしは幹部達と共に奈津なつ殿からの報告を聞いていた。

 結論から申すと、会津松平家も壬生みぶ鳥居とりい家も、未だ体制は整わずと言った所である。


 足高たしだかと言っても、直ちに手当てされる訳ではない。実際の銭は次の切米の時期まで待たねばならぬのがお役所仕事。京都守護代に就任したものの、会津あいず松平家は当面を手持ちの資金で運用せざるを得なかった。

 ついこの間まで面扶持つぶらぶちで凌いで来た会津である。そのツケはお預かりの新撰組にも平等に振り当てられた。


「それで。会津としては譜代と分け隔て無く遣っている積り。しかし浪士達からすると洗い替えも寄越さぬ吝嗇けちな連中。と言う事ですか」

「そうなんだよね。実際には無い袖は振れないって事なんだけどね」

 奈津なつ殿は酢を飲まされたような顔をして苦笑い。


 大樹公家が親藩で最も頼りとするのは会津松平家だ。それが上様直々の御指名で京都守護代と言う要職に就いている。だから事情を知らぬ者は、銭が無い筈が無いと見るのは無理からぬこと。


「実際、武士としての体面を保つには銭が要ります。洗い替えも無く洗濯の度に褌一丁では、一朝事いっちょうことある時の役には立ちませぬ。すわ騒乱を鎮めよと言う時に、裸に段平だんびらっ取り刀では天下の笑い物にございます」

 いかに銭が掛かろうと、削ってはいけないコストと言う物がある。例えば、武士を城下の屋敷に住まわせるのは、いつでも直ちに兵力を整えて戦う為である。

 それはいつの時代でも変わり無い。公務員を役所に近い専用住宅に住まわせるのは、非常時に直ちに召集する為。考えても見よ。災害で交通が寸断された時、登庁に半日以上も掛かるようではなかなか対策本部も立てられず、初動の遅れで可惜あたら助かる命を死なせてしまうことだろう。


「だからと言って、あれじゃ勤皇の賊と変わりないよ」

 奈津殿はこぼす。違いは夜に強盗するか、真昼間に強請ゆするかだけだろう。

「遣り方はどうであれ、足らぬ物は足らぬのですよ」

 東條英機とうじょうひできじゃあるまいし、一足す四は決して八十には為りやしない。魔術師といえども手品の種は必要なのである。


「根っこの部分で、芹沢殿は良い所のお生まれなのでありましょう。零から金を捻り出すような外連味けれんみがございませぬ」

 武士は定められた家禄で生活し、お役目を果たす者である。為に節制倹約の心得はあっても、無から有をすべは持ち合わせて居らぬのが当たり前である。

 殊に、今回の新撰組のような京の治安維持を行うと言ったケースでは、四六時中が勤務時間である為、内職などもっての外なのである。

 一般に公務員の副業が禁止されているのは理由がある。いざと言う時、その副業による拘束のせいで必要な働きが出来ないことを避けるためだ。して、新撰組は治安維持を職務とする。


 何度も言うようだが、これは平成の代でも同じこと。警官・消防士・海上保安官・自衛官と言った人々は常日頃からいつ非常事態になっても良いように備えねば為らない。いな、非常事態に至る前にその芽を摘むことを社会より求められているのだ。

 つまりそのような人々は、いつ何時なんどきでも非常事態に万全の対処を行えるようにする為に、休むのも寝るのも職務なのである。その即応体制に狂いを生じる副業など許される話ではない。


 埒が明かぬのならばどうにかせねばなるまい。このままでは京の政情が危うい事となる。

 わしは先ず、奈津殿に指示を出す。

「奈津殿。なんとか致すその為に、壬生鳥居家よりの委任状が必要です。丹波守たんばのかみ様より、『委細登茂恵ともえに任す』との一筆を頂いて下さい。頂き次第動きます」

「うちのお殿様に? 判った。でも、会津は?」

「壬生鳥居家は上様より浪士達のお世話を申し付かっております。会津に与力せよとも下知に随えとも命は受けておりませぬ」

 奈津殿の配慮は尤もであるが、わしらは会津の下では無い。話を通して置く必要はあるが、主導権はわしが握らねばならない。

 わしの言葉足らずで奈津殿他が誤解せぬよう、わしは言葉を上に積む。

「何より、今ここで急いで手当せねば小火ぼやが大火事になってしまいます。

 勿論、会津始め要所に根回しは致しますが、取り壊す家を定められない火消ひけしが役に立ちますでしょうか?」

「だね。言われてみれば確かにそうだ。面倒を免れるなら、今日明日にでも貰えると思うよ」

 ああ。と言う顔をして奈津殿の顔はむふっと笑った。


 ならば方々ほうぼうに根回しだ。直ぐ様動き出す奈津殿を後目に、わしは宣振まさのぶとお春に使いを頼む。

「宣振。京都の豪商達に連絡を取って下さい。近日中に、新撰組の問題についての話し合いを所望すると」

「判った」

「お春。いつぞやの親分さんと、伏見のお坊様に今から書く手紙を届けて下さい」

「へい」


 こうして、わしらは動き出す。

「誰かが祝詞のりとを読み上げねば、銭の御輿みこしは据えられたまま微動だに致しませぬ。

 壬生も会津も手をこまねいているとあらぱ、この登茂恵が京師けいしに居る間に片を付けます」

 わしは断固として宣言した。

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