退助殿の馳走2

●退助殿の馳走2


 夕刻。まだ灯りが要らぬ頃。

 持て成しの為、席を外した退助たいすけ殿を見送り、手酌の宣振まさのぶが目を細めて舐めている。

 このように、ほろ酔い辺りに酒が回ったら程好い酔いを保ちつつ、ちびりちびりと遣るのが本当の酒呑みだ。


 二歳馬が飼い葉を喰らう様に、大杯を飲み干すのは、豪気に見えるが下品で意地汚い。早く呑まねば人に呑まれてしまう酒ならば、そのような飲み方もあるかも知れないが、誰に取られる訳でも無い今夜の持て成し酒を、そのように飲んでは勿体ない。


 藁焚く煙が漂う庭。ぱちぱちと爆ぜる薪の音。

 今しも退助殿は、わしらの為に風呂を立ててくれている。


登茂恵ともえ殿、風呂が沸いた。五右衛門の入り方はご存知やか?」

 少し煤けた顔で戻って来た退助殿に、

「弥次喜多くらいは存じております。流石に、下駄で釜を踏み抜くような粗相は致しませぬぞ」

 有名な滑稽本の名を挙げる。

「それは良かった。

 夏場ゆえ、汗引きに少々ちっくと温めにしてあるんじゃ。たっすかったら呼んどーせ」

 物足りなかったら呼んでくれと言われ、わしは風呂場へと向かった。



 湯加減を見ると、摂氏にして四十度ほどの温い湯だ。掛湯をして汚れを落とすと、すっと熱が身体から逃げる。

 蓋を兼ねた板を踏んで肩まで浸かると、

「はぁ~」

 蕩けそうな心地良さに、爺むさい声が出た。


 いつもの如く湯の中で最初はゆっくりと湯を握る。それを段々と早くして行き、握る抵抗を増して行く。

 湯握りは見た目の容易さと違って、正しく行えば結構きつい鍛練だ。だが、その重い負荷にも関わらず、疲れが後に残らない。湯の温もりがその場で疲れを癒してくれるからである。


「ふう」

 両手で湯を掬い顔を洗う。若き身体と額に浮かんだ汗が湯を弾く。

 風呂場の窓から見える紅い西の空。こんな一日ひとひの終りも悪くない。

――――

♪夕日のあやに 包まれる 西のかた にしきなり

 団居まどいは果てぬ 花筵はなむしろ 墨絵すみえの ひんがしぞ♪


♪流れる笛の おと遠く 風誘う 花のひら

 明日あしたの命 誰ぞ知る 若き日 く過ぎる♪


♪夜のとばりは 音も無く 我がいおを 包む頃

 うたげのどよみ 静まりて さやけき 星仰ぐ♪

――――

 興に乗って声を揚げて朗々と歌えば、

「湯加減はどうぜよ」

 聞き慣れぬ西洋の節を聞き付けて退助殿が遣って来た。


「少し温めて頂きますか」

「畏まった。任せとーせ。今直ぐぬくうするき」

 退助殿が薪をべ、火吹き竹で吹き付けると、流石五右衛門風呂。直ぐに温まって来た。

「どうぜよ?」

「良い塩梅です」

 摂氏にして三度上がった塩梅か。少し熱めの湯と成った。


「それにしても、髷を結わんのはご府中の流行りやか?」

 興味深げに退助殿が聞いて来た為、

外国とつくにつわものが被る帽子は。髷を結っては不便にございます故」

 と、説明して遣る。


「他にも色々ございますよ。例えば種子島は顎で支えて撃ちますが、メリケンやエゲレスの鉄砲は肩で支えて放ちます。この為、あちらの鉄砲撃ちは鎧を付けませぬ。そもそも下手な鎧を着けた所で、あちらの鉄砲の弾は容易く鎧を貫いてしまいます」

「なるほど」

「その代わり、あちらの大砲おおづつは弾が爆ぜて破片くだけを撒き散らす物にございますれば、頭を護る為に鉄兜を着けまする。他なら浅手で済む傷も、頭や首では命取りになってしまいます故」

「扱う武器に相応しき格好になったのじゃのぉ」

「ええ」

 そんな話をする内に、十分に肌がふやけて来た。



「登茂恵殿は東洋先生の大切なお客人や。お背中流させとーせ」

「は?」

 背中を流させて下さいと言って来た退助殿に、わしは素っ頓狂な声を上げた。


「垢を掻いて下さるとおっしゃいますか」

「はい。心を込めてお世話さして頂く」


 今日の持て成しを見る限り、退助殿は生真面目な律義者。他意のある筈もない。

 全く疚しい様子は見て取れず、別に小児趣味の者にも見えぬ。


 今世は一応は大名の子。人に世話をされる事にも慣れていた為、

「構いませんよ」

 と彼に告げた。

――――――――――――――

拙作の「天廻の媛」もよろしくお願いいたします。

https://kakuyomu.jp/works/16816927859364331670

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