微笑み返し

●微笑み返し


「ひょあらぁぁぁー!」

 土州としゅう参政・吉田東洋殿の屋敷に、突如響く鵺の声。

 どこぞのゲーム制作会社の、アイテムや魔法の情報を表にして管理する職種のような響きに、

「姫さん!」

 お猪口を捨て、文字通り押っ取り刀で駆け付けたのは宣振まさのぶ

 辺りの有様を一瞥するなり、急に気の抜けたような声で、

「いったい何の騒ぎぜよ」

 とわしらに問うた。


 無理もない。訳が分からず困惑する宣振の見た物は、半裸で地べたに土下座する退助たいすけ殿と、彼の着物を纏ったわしの姿であるからな。


 土下座する退助殿は、

「ご無礼。平に、平に。

 嫁入り前の女性にょしょうの隠し所を、見てしまったは。いぬい退助一生の不覚。

 腹を切れと言わば切りまする。娶れと言わば娶ります。婿に入れと仰せならば、乾の家を潰しても入婿と成りましょう」

 と呼ばわった。


 奇声を上げた退助殿を襲ったのは、所謂ラッキースケベと申す出来事。

 わしは未だに男の意識が強いし、今世こんぜのこの身体は未だ数えの十一。解り易く言えば尋常科の四年生だ。

 昭和末期以前は子供の発育が悪い為、この歳で二次性徴に到るのは皆無と言って構わない。


 そんなわしが男のなりをしていたのである。気が付かなかったとしても責める謂れはない。

 まして今世にわしが目覚めた後は、腐っても姫の扱いで着替えにせよ風呂にせよ、他人ひとの世話に任す経験も積んでいる。風呂屋の三介宜しく世話をすると言われ、違和感なく頼んだわしに原因が有ったのだから。


 斯くして起った、まるで前世の孫達が好む小説の如き展開に、男女七歳にして席を同じゅうせずで躾けられた退助殿が耐えられるはずもない。

 咄嗟に帯を解いて裸のわしに服を被せ、そして今に至るのだ。



「宣振。退助殿は何をしておられるのですか?」

 わしはきょとんとした顔をして、何も解らぬ態を取る。

「おーの。姫さんには敵わんね」

 宣振はあーあと嘆きつつ悟り顔。

「退助様。わしのしゅうは、これでも一国の姫じゃ。他人の世話を受ける事に慣れちゅー。

 おまさぁにゃ悪いが。犬に見られた言うて、犬を斬れ言うべこのかぁや、犬に嫁入りする女なんかおらんのと同じだ。

 お気になさらんように」

 と声を掛け、狼狽している退助殿を起こしながら、

「姫さんは、他人に世話されることにも慣れちゅーが、全部一人で出来る。

 心苦しいと思うのやったら、ここは出て行くのが正解や」

 と、急病人を抱えるようにして、退助殿を連れ出した。



 そこから四半時ばかり風呂を楽しみ、夕べの涼風に吹かれて母屋に戻ると。


「先程は大変失礼致した」

 二十歳そこそこの若い女性がわしに向かって丁寧に頭を下げる。

「あなたは……」

 尋ねると、

「乾退助がしつすず言う。

 夫退助が、夫以外見てはならん隠し所を見据えてしもうたは事実。筋やったら、潔う正室の座をお譲り申し上げるべきやろう。

 やけんど、姫様は国主の娘におわす。貴人が乾家が如き陪臣の家にご下嫁される道理も無し思うけんど」

 にこにこしながらわしに言った。



 退助殿は数えの二十五だと言う。数えの二十五は満にして二十三。

 平成の御代ならば現役合格で大学を出て一年やそこら。社会人には成って居ても、いい大人からは尻の青いガキ扱いされる年頃である。

 しかしこの時代の感覚では、標準的な元服から十年を経た立派な大人であり、平成の感覚で言えば三十代半ばと言った辺りであろうか。

 その歳の男が家督を継ぎ、農政・徴税を司るめん役人と言う責任の重い仕事に就いている。

 そう。嫁を貰って居ない方がおかしいのである。



「鈴殿はお強いですね。嫌いではありませんよ」

 微笑み返しに言葉を交わすと。近くにいた宣振と退助殿が冷や汗を掻いた。

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