水掛けの護り
●水掛けの護り
まるで芝居でも見ているかのような気にさせられる安五郎親分。
「若様。なんでこれほど俺らを気に掛ける?」
その問いにわしは答える。
「正しくは、無為の騒乱を望まぬ故にございます。
家貧しくして
いかに尊き物なれど、世に
すると目を丸くした親分は、
――――
其の血を蔵すること三年にして、化して
――――
と荘子の一節を
「若様。俺らを忠義の士とおっしゃるけ」
と聞き返した。
「甲斐は貧しき土地と伺います。綺麗事では済まされぬ話も多いことでしょう。
お家の為、郷里の為。身を捨てて仁を為すのは忠義の士とは、申しませぬか?」
わしの言葉に安五郎親分達は深々と頭を下げた。
「ところで」
わしは別の話を切り出す。
「ここに参る途中。
随分と親分の事を目の敵にしておりましたが、如何に八州廻りの御用とは言え、縄張りを留守にしての
「聞きてえのはそのことけー」
安五郎親分はじろりとわしを睨んだ。
返事にゆっくりと頷くと、
「確かに国分のにしたら、俺ぁ
あっさりと。じつにあっさりと事実を認めた。
雨が降って来たから洗濯物を取り入れる。そんな当たり前の事を言うような感じで。
「国分の親分とはどのような因縁なので?」
「元を
水掛けとは自分の所に水を引くことである。
因みに。互いに譲歩や理解を示そうともせず、持論を主張するばかりで進展の無い議論を水掛け論と言う。
この言葉は、乏しい水を巡る生き死に懸かった水争いの、互いに譲れない主張から来ているのだ。
果たして安五郎親分は語る。
「知っての通り。甲斐は鎌倉の昔から貧しい土地だ。地味も水も乏しいから、田圃に水を掛ける事が出来るかどうかで秋の実りが決まっちまう。
俺ら、米が採れん土地を田圃にして米を作らされてるなあ。
結局。甲斐は土地も痩せて水も足りん。ふんだから水掛けでの争いが絶えん。
若様には判らんかも知れんが、どちらも掛けなきゃ凶作よ。
ほれでな。ほんな地獄を見るくれーなら、水争いで死いだほうがましだって言うものさ。
俺の様な四男坊は、
ほれでも俺は名主の家に生まれたからまだましだ。碌に仮名も読めんような者が多い村の中で、手習いどころか、どこに出ても身の立つような学問をさせて貰って居る」
甲斐と言う土地は、罰ゲームのような土地だと親分は言う。
話を聞くと。わしがヤクザだと思って居たのは、安五郎親分達にしたら自警団の様なものだった。
他所と比べて治安も悪く、複雑怪奇に細分化された入会権や水利権。用水一本掘るのも、あちらの領地こちらの領地と利害調整を重ねなければ埒が明かない。
だから他の土地では問題にもならないような、極軽い天候不順があっただけで直ぐ凶作になってしまう。
甲斐での水争いは、水を掛けねば、自分の田圃に水を牽かねば死ぬと言う切羽詰まったもの。
どちらが善とか悪とか言う訳でも無い。ハイカラに言えばカルネアデスの板であったのだ。
そんな中、自然発生的に誕生したのが村の自衛組織だ。
暴力行使で争いを解決すると言う性質上、非合法でありながら村の為に不可欠な組織であった。
だからこそ。世間では、やくざ者とか無宿者と呼ばれる安五郎親分が、実家からの支援を受けることが出来ているのである。
トドの詰まりは、自分の郷里の死活問題が対立の根底にあったのだ。
「そう言う事でございましたか」
わしが合点したその時。不意に安五郎親分がその場に伏して床に耳を付けた。
「若様。招かん客が参ったみてーだ」
同様にして耳を澄ますと、確かにカサカサと落ち葉を踏んで近づく足音が聞えた。
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