簡易地図
●簡易地図
ご府中も関八州の内であれば、上州と同じ
川面を抜ける風が冷たく肌を刺す。
「どうした姫さん」
冬枯れの
わしと宣振の二人だけだから、本来ならば護衛の役目を果たす筈の供。
だがわしは戦える。だから遠慮なく荷を任せて居たりする。
結果宣振は、終業式の日に色々家に持ち帰る尋常科の子供のよう。クリスマスツリーのように荷物をぶら下げて、七つ道具を背負った弁慶のような出で立ちで、身体から湯気を立ち昇らせていた。
「米の採れぬ土地が増えましたね」
来る途中。この夏の洪水の傷痕を嫌という程見て来た。
「そりゃ、えぐい被害やったがよ。
元々玉川は暴れ川、直ぐに
「解っています。しょっちゅう堤防が決壊していると」
「あ~。姫さんが案じちょってもしょうがない話ぜよ。
わしらの出来る事は、
「判ってます」
わしの声が不機嫌になった。
今度の喧嘩の舞台。当世では
多摩川は、有史以来
それどころか。
関東大震災では、営々と築いて来た堤防に亀裂が走り、地盤は沈下し陥没を起こし。
昭和になっても、十二年の豪雨・十三年の大洪水と猛威を振るい。昭和二十二年のカスリーン台風や二十五年の決壊。三十八年四十一年の氾濫と台風や大雨の度に被害をもたらし、昭和五十七年に至っても台風十号と十八号で床上床下浸水の害。
そこで根本解決を図ろうと、平成元年に計画されたのが所謂スーパー堤防事業であったのだ。
だから文明開化以前の時代、分倍河原は耕作に使えない無価値の土地として長らく放置されていた。
大軍を展開させる十分な広さを持ち、いくら荒らしても問題ない土地であるため、分倍河原は過去に二度も合戦の場になっているのだ。
「姫さん。まだやか?」
「待ちなさい。そのまま竿を動かさないで」
わしは右の親指を立て竹の定規を水平に握り、目標の地物に向かって腕を真っ直ぐ前に伸ばす。
あの目立つ雑木に親指を合わせ、右目そして左目と目蓋を閉じた。視差を使って定規の目盛りを読み、帳面に書きつけて行く為である。
これは前世で習った簡易測量で、こうした簡単な間に合わせの道具だけで地形の概要を得て、手早く大まかな地図を作るのだ。
合わせて、今の地点から見る風景を小筆でスケッチして行く。
写真の便利を知らぬ訳ではないが。こうした
「姫さんもまめだな」
「折角、予め測量出来るのです。やっておくのに
「これで一回り。これでええのか?」
「はい。五十年ほど昔に、天文方の「
わしがやっていることは、おおざっぱだが所謂トラバース法を元にした測量だ。
「宣振。杭をここに打ち込んで下さい」
「ここか?」
やっているのはほぼ
二刻後。
「次はあちらです」
「またかぁ。もう三十遍やき。
「疲れた? 宣振。訓練・準備の汗一升は?」
「判っちゅー! やけんど、いつ終わるがよ」
もう疲れ過ぎて声の荒い宣振は、相変わらずの大荷物をぶら下げて息が上がって居た。
「杭の残りを見れば判りませんか? これで二分が済んだばかり。急ぎますよ」
「姫さん……うう……えずい」
姫さん酷いと言われても、こればかりは遣らねばならない。
だいたい、わしにあの大荷物が持てるはずも無いのだから。
「しょう
戻って荷物を置くなり、滅茶苦茶疲れたと言って畳の上に大の字になる宣振。
彼を横にわしは結果を纏めて行く。
「ふむふむ。なるほど……」
出来上がった地図を睨み。想定される陣地や伏兵の位置を割り出す。
川筋は平成年間の物とほぼ同じ。違うのは護岸が成されておらず、冬枯れだが立った大人を覆い隠すような丈の高い草や、
天気続きのこの頃は川の
季節外れの雨で増水しなければ、分倍河原の辺りはどの場所でも歩いて渡れることだろう。
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