喧嘩の朝

●喧嘩の朝


 川風が湯気の如く川霧を立ち込めさせる寒い朝。

 喧嘩の場所に選ばれた分倍河原ぶばいがわらは人の波。


「なんだこれは!」

 一方の大将・祐天ゆうてんは、険しくまなじりを上げた。


 弁当下げてゴザ敷いて、土手の上には見物客。

 あまつさえ、

「えー。おせんにお芋。枇杷びわ湯はいかがっすか」

 なんと物売りまで現れる始末。



「おい! なんだこれは!」

 思わず怒鳴り付ける祐天殿に、

「見物人にございまする」

 わしはつらっとした顔で抜かしてみた。


 親分と言われる程の人になると、無法者でも無暗やたらに狼藉はしない。それでも祐天殿のこめかみは、ピクピクと震え青筋が立つ。

 祐天殿はいきり立ち、今にも矛を交えんばかりにぶるっと大きく胴震い。

 そして、すっすっすっすっとしゃくり上げるように小刻みに、鼻から吸って肺に溜める。

 溜めて溜めて胸一杯。ふぅーっと長く大きく息吹を吐き出して、己が堪忍袋を繕った。


「御親兵ご差配さま。ちと、おイタが過ぎませんけー」

 声は優しく柔らかで老爺が孫に語る様。しかし、顔は笑っているが目は全く笑って居ない。


 わしは今直ぐ刃を交えても良い心積りで

「いいえ。これは後に遺恨を残さぬ為と、かほど世間を騒がせても喧嘩で人を殺しても、祐天殿を始めとする方々が咎人とがにんと為らぬ様、八方手を尽くした結果にございます」

 と、言葉の手裏剣を打つ。


「人を叩き切って、咎人にならん? 本当け? ほんなの有り得んら」

 思いも掛けぬわしの言葉に、怒りも忘れ眉に唾する祐天殿達。


「咎人には成りませぬ。いいえ。今日の喧嘩に加わる者は、旧悪の咎も免じられます。

 今日。お上よりご赦免状が下されます」

「ほんなこん、あるわけが……」

「くす。何事にも例外と言うものがあるのです。別して、喧嘩相手以外害さず、此度こたびの遺恨を残すことが無いのならば」


 この喧嘩で殺された者の仇を取る事は許されないが、この喧嘩で相手を殺してもお咎めは無い。

 そうわしは請け合ったわしが右手を上げると、観客の中からトシ殿らを従えた一人の厳つい男が遣って来た。



島崎勇しまざき・いさみ藤原義武ふじわらのよしたけと申す」

 見物人達から、見知った顔なのか湧き上がる歓声。

 島崎殿は巻紙を広げ。朗々と読み上げた。


――――

 ひとつ御親兵ごしんぺいと与力する者は白襷しろだすき山本仙之助やまもとせんのすけ殿にくみする者は赤襷あかだすきを付けて喧嘩すべし。襷無くして人を殺傷せし者はご赦免を得ず。


 一、襷無き者、武器を捨て襷を解きて逃げ出す者を討つを許さず。


 一、鉄砲・大筒を除く如何なる武器も勝手とす。弓矢も良し、但し鏃は流れ矢をおもんばか神頭じんとうのみをもちうべし。


 一、此度の遺恨、神懸けて他日に残すべからず。断じておのが名と、見届け人の名をくたすべからず。


 一、喧嘩は、見届け人が指図する法螺貝の音より始め、かねの音にてむべし。見届け人が勝敗をせんす。従わぬ者は見届け人が成敗す。


 以上。

――――


 それが喧嘩のルールであった。


「よう。登茂恵ともえっち」

 トシ殿が白襷を御親兵に配り、もう一人の眉秀でたる幼顔の男が、祐天殿達に赤襷を配って行く。



「島崎殿。あんたが見届け人かい?」

 祐天殿が聞くと島崎殿は、

「いいや」

 と答えて川下を見た。


 その時。川下の道沿いに現れたのは……。


「「「「おおう!」」」」

 見物人も含めた一同が、一斉にどよめいた。

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