陣地構築

●陣地構築


 高知は江ノ口川と鏡川に挟まれた、元は極めて水害の多い地域である。

 その為か、今世において高知周辺のつつみは高知城下を護る様に築かれていた。

 即ち。高知から見て必ず外側の堤の方が、故意に低く脆く作られているのである。

 だからいざ水害が起こった時、決壊するのは必ず外側の堤となる。そしてその決壊箇所も無駄に被害を大きくしないために、特定の場所に集中するように作られていると聞く。

 所謂。越流堤えつりゅうていと言う奴である。


 例えば、高知の南を流れる鏡川の潮江堤防の決壊記録を紐解くと、高知に城下町が出来て以来、実に十七回の決壊記録があるのではあるが、内九回は切れると書かれているのだが、残りの八回には切ると言う記載がある。そしてただの一度も城下は水害に遭ってはいない。

 つまり能動的に堤を切って、高知城下を救ったのである。


 事実、高知の北を流れる江ノ口川のなわてに近い土地は、事実上の遊水地で常の畑とは為らない地帯である。寺がある関係もあって、もう少し北寄りではあるが墓所などもここいらに設置されていた。

 今世に於いて畷の辺りは、便利の良い所に寺社が南瓜かぼちゃや薩摩芋など救荒作物や菜種を植えるのみであり、年貢の採れない土地であったのだ。


 こんな土地であるから。わしらに割り当てられた寺の一つ永福寺えいふくじ入口の東側にも、かなり強固なつつみが築かれて決壊時の水から寺を護る備えとなって居る。



「この辺りは、好きに使うて構わん」

 わしら軍服姿の一行を案内してくれた永福寺の僧が断言した。

 ここは畷も畷。江ノ口川の流れを間近に見る場所である。

「演習でのうては、陣を張るのも憚られる場所じゃのぉ」

 死地も死地。水攻めにえば一巻いっかんの終りである。

 しかし演習場として使うのならば。堤以外はどれ程痛めても構わない、絶好の地勢となるのだ。


――――

■想定

・任務

 捕虜救出。

 永福寺に本陣を置く御親兵ごしんぺい主力は、江ノ口川の北より進出し、山田橋を確保。

 高知大神宮へ抜ける参道を確保し、同社に砲兵を配置。

 同時に橋の南にある番所を制圧し、近くにある獄舎を破る。


・野戦築城

 本陣攻略に来る敵軍の、主たる接近経路を江ノ口川・川沿い東方より。従たる接近経路を同、西方よりと想定し、二方より永福寺に到る進路に平行する防御陣地を築く。

――――

 歩兵と工兵総出で円匙えんぴを使い、演習の陣地を築いて行く。今回は鉄条網もべトンも使用せず、専ら土木工事だけで陣地を設営する。


 敵の目標となる目立つ陣地として、ほりを拓き、掻き上げの土塁を盛り上げる旧来方式を採用。

 入ると簡単には這い上がれぬ深さの堀と土塁を作るため、戦闘で中に乗り込むのはかなりの損害を覚悟しなければならないだろう。敵に大砲が無ければこれだけでも立派に砦として機能する。

 但し主たる防御施設はこれらと異なる。大砲や斉射砲を想定したジグザグに開削した塹壕や退避壕を巡らし、正面にその土をふくろに詰めて掩体を積み上げる、八島ではまだ目新しい方式だ。



「こんなものかのぅ」

 ふゆ殿が、繁みに手動発動のトラップを仕掛け、油を塗った鋼線(ワイヤー)を這わせて動作チェックを行って居る。

 発砲地点を襲っても、使用済みの仕掛けがあるだけと言う寸法になる。


 後方に回り込む者を阻害するために、一尺足らずの小さな落とし穴が沢山掘られ、中にはベトナム仕込みの抜こうとすれば脚を傷付ける竹細工の罠を仕掛けた。

 演習なので、本番なら尖らせてある竹櫛の先は尖らせてはいないし、破傷風や敗血症を誘発する糞やドブの沈殿物を塗り込んでもいない。

 単に罠を埋めた油紙で覆い、上から土を被せて有るだけだ。



 こうしてわしらが演習の為の野戦築城をして居ると、

登茂恵ともえ仁王におう様からの差し入れや。皆で食べとーせ」

 風呂敷一杯の餡餅を背負って、龍馬殿と忠次郎ちゅうじろう殿が遣って来た。

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