お年玉

●お年玉


 一生使わないかも知れない知識や技を磨く。前世でも今世でも、日本人は変わりない。

 前世のわしの時代から、少なくともゆとり教育の時代に至るまでは、そうであった。


 わしの郎党・宣振まさのぶ然り、郷士身分のせいで一生使う事が無いかも知れない砲術を修めていた。

 ふゆ殿もまた然り。女に生まれてきたせいで、可惜あたら算術の才を埋もれさせてしまう所であった。

 まだ男ならば、抜け道がないでもないが、女に生まれたハンデは重い。



 山川均やまかわひとしと言う政治家がいた。政治家と言っても、時の政府に反対ばかりしておったから、大臣だの役人などには為らず、生涯を民間人として終えた男だ。

 旧社会党をつくるのに骨を折った男で、共産党の前身にも関係していた。言うなれば、日本の社会主義の父とも呼べる人物である。


 彼は優れた自伝を残しているが、そこに彼の母の事が描かれている。

――――

 音曲、芝居に限らず、そのころの遊芸と総称されていたものには、母はすべて興味をもっていたが、私の家にはそういうものをいれる余地は少しも無く、むしろそれは卑しむべきもの、遠ざくべきものだとされていた。

 こういう山川家の空気のなかで、母の興味は少しもみたされなかったばかりではなく、それはまったくおしつぶされ、私のおいたちの環境に少しも影響を与えなかったことを、私はいまでも残念に思っている。

――――

 山川均が生まれたのは明治十三年であるから、これは明治の普通の家庭である。

 女は一旦嫁入りをしたら、そこの家の家風にしたがって、生きるべきもので、娘時代を送った実家の生活様式は、全て捨て去らなければならないとされていたのだ。


 山川均の母は、岡山の倉敷の町の小さな商家に十七歳で嫁した。山川家は商家の常で、芸実的な事柄を全て忌み嫌っておった為、母はその才を蕾も得ずして埋もれさせた。

 山川均はそう惜しんでいる。



 前世の記憶を得て以来。今世は女と生まれたこのわしが、生きやすくなるよう因循姑息いんじゅんこそくを打ち壊す為、かなり無茶を遣って来た。

 しかし、前世に近い歴史の流れならば機会はあると信じて散々遣らかして来たその割には、実の所未だその緒にも立ってはいない。


 さて。話を戻すがトシ殿から島崎殿は稀代の剣術家と聞いていた。

 男女同権どころか未だ四民平等にも達しない身分社会の直中で、島崎殿も生まれのハンデを覆す為に奮闘し、来るべき竜変りゅうへんの日に備えて、剣だけではなく文も相当修めてた。


 彼からすると、わしなんぞは苦労知らずのお嬢ちゃんで、清川殿は才をひけらかす理屈倒れに見えていることだろうな。



 清川殿は、刀に手を触れた瞬間はっと我に返り、

「島崎殿。失礼つかまつった。木鶏もっけいを名乗れども、未だ小人の未熟者。お許し下され」

 と素直に詫びた。


 正解である。なぜならここは殿中、抜けば切腹は免れない。

 賊から大樹公たいじゅこう様やご重臣をお護りする時を除けば、大名といえどもお家は断絶身は切腹なのは、忠臣蔵を挙げるまでも無い。


「拙者もご無礼致した。学びつたな鄙者ひなものなれば許されよ」

 即興で漢詩を詠んで、学が無いなどよく言うよ。と言う顔のトシ殿やたき殿。


 一触即発だった二人の応対辞令に苦笑なさっている大樹公様が、

「許せ。われが戯れが悪かった」

 と口にしたので、二人は、

「「ははぁー」」

 と平伏してその場は済み。その後、仕来り通りの武芸始めを行い、召された者達は大樹公より紅白の餅を賜り退出した。


 この時わしは大樹公様より別のお年玉を戴いた。

登茂恵ともえもそろそろ持つが良い」

 そう言われてはまぐりの容れ物に入った紅を下げ渡されたのだ。

「遠慮致すな。餅を染める時余った物だ。まだ早いならば、取って置け」

 などと仰るが、どう見ても余り物には思えなかった。


 さらに。

「巷では、われが水滸伝の弩の名人・燕青えんせいなぞらえたことから、登茂恵配下のおあきと申す娘が評判になっておるそうだな」

「はい。真にもって有難き限りにございます」

「それで、普段は鉄砲を使う所から、炎の天功星てんこうせいの二つ名が広まりつつあると申す」

 これはまたご大層な二つ名と思ったが、わしは微笑みで肯定する。別に悪い名前では無かったからだ。

「水滸伝の燕青と言えば、律義者で忠義者。過ぎたる名とは思いますが、き二つ名にございまする」

 こう答えたわしに大樹公様は、

「炎の天功星にこれを遣わす」

 そう言って先頃、肥州ひしゅうから献上されたと言う二丁のメリケン最新式銃を下賜され、また奈津なつ殿の腕前を褒め、

「馬が鉄砲・大筒の音にも怯まなければ、どれだけの働きをするであろうか」

 と、合わせて調練の為の火薬の目録を賜ったのだった。



登茂恵ともえっち。おらぁ。あいつぁ気に食わねえ。他人を虚仮にしやがってる」

「トシ殿はお気が短いですね。島崎殿を手本になさいませ。あれが本当の木鶏にございますよ」

「姫さん。そう弄りなさんな。才ある者はみんなそうや」

 トシ殿や宣振まさのぶと、いつもの軽口を叩き帰る道。


幸姫さちひめ様」

 わしを呼ばわる声が有った。

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