才と誠

さいまこと


僭上せんじょうなり! だがわれは嫌いではないぞ」

 最後まで聞いた大樹公たいじゅこう様は一瞬声を荒げたが、直ぐに清川殿に向って親し気に話し掛けられた。


「そなたは古学を修め塾頭に推されたが、辞して研鑽を続ける為、艮斎ごんさい見山楼けんさんろうの門を叩いたと聞く。

 その後も、武はお玉が池の玄武館で北辰一刀流の免許皆伝。文は艮斎の縁で昌平坂しょうへいざかの学問所に学ぶ。

 後に九段の斎藤に先駆けて文武を教える私塾を開くも、学びの道を尋ねての廻国修行」

「どうしてそれを……」

 自分の経歴を並べられ、目を丸くする清川殿。


「なあに。先代の近侍であった又一またいちから聞いておる」

「小栗豊後守様がそのように」

「兄弟子が弟弟子を推して、何のはばかりが有ろう。

 当節は、若くして師匠と呼ばれたいのであろう。未熟者にして私塾道場を開かんといる者が多いと聞く。

 師匠と呼ばれてなお求道ぐどうこころざし有り。そなたは大望有る者であろう」

「御意」

 大樹公様のお言葉に平伏する清川殿。


「そなたは郷士の出。頭の固い連中が多い故、相応に報いて遣るのは難しい。

 されど艮斎も一堂いちどうも、大樹公家が股肱ここうよりまつりごとかかわりてもうす事多き者であったと聞く。

 そなたにも期待して良いか?」

「お召しとあらば、我が非才を以て」

 うんうんと頷く大樹公様。



 続いてたき殿は、

島崎勇しまざきいさみ藤原義武ふじわらのよしたけ殿。上様直々のお計らいにございます。

 おんみの自薦をなさいませ」

 と呼ばわった。

 静かに頭を下げる島崎殿は、

身共みどもには、これと言った才はございません。ただ、お許し頂けるのならばまことの一字を以てご奉公致します」

 これのみを口にした。


木鶏もっけいがあれほどさえずっておるのだ。そなたももう少し話すが良い」

 一瞬、清川殿の肩が、カンニングをしている生徒の如く不自然に揺れた。

 大樹公様もお人が悪い。雄弁な清川殿の号をして揶揄からかっておられる。

 あるいは、遠慮がちな島崎殿の背を押すためかも知れない。



 木鶏とは木のにわとり荘子そうじに書かれている故事に由来する言葉であり、木彫りの鶏のように全く動じない最強の状態をさす。


 前世のわしは、昭和の大横綱・双葉山ふたばやまぜきは、連勝が六十九で止まった時、

 「ワレイマダモッケイタリエズ(我、未だ木鶏たりえず)」と電報を打ったと言う逸話を聞いた時、これぞ明治の気骨だと頭を下げずにいられなかった。


 何せわしなんぞ、前世で古希こき(七十才)を過ぎても卒寿そつじゅ(九十才)に至っても、

――――

 いまだし。まさ虚驕きょきょうにして気をたのむ。

――――

 詰まり、今は空威張りして気力に頼っておる有様ありさまだったから尚更なおさらだ。



 大樹公様の言葉に島崎殿は、さればと一首いっしゅの漢詩を詠んだ。

――――

 まさあとくらまして牆東しょうとうぐうすべし

 喋喋ちょうちょうとして何ぞ世俗にしたがいて同じからんや

 果たして英雄の心の上の事を識らば、

 英雄ならざるところぞ 是れ英雄

――――


 牆東(垣根の東)とは、後漢書の逸民伝・逢萌にある王君公おうくんこうが世を避けて城東に身を隠した故事から隠居の地を示す言葉である。

 つまり詩の意味を解説すると、こうなる。

――――

 英雄とは、ひたすら世の中を避け姿を隠して、人知られず隠棲するべきである。

 どうしてベラベラと得意げにしゃべる俗人どもの真似などするだろうか。

 ついに俺は理解したのだ、英雄の心の内と言うものを。

 いかにも英雄らしくないことこそが、真の英雄なのだ。

――――


「島崎殿!」

 血を吐く様に清川殿が声を上げた。

 右に置かれた刀に手を伸ばして。

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