第五章 女人の権

儘ならぬ者

ままならぬ者


 通されたのは大奥は御座之間ござのま。段飾りのきらびやかなひな人形や雛道具が飾られている。


登茂恵ともえ大儀たいぎであった。面を上げよ」

 平伏の顔を上げて拝する大樹公たいじゅこう様のお顔は、疲労の色を露わに見せており、わしは思わずお見舞いの言葉を掛けずにはいられ無かった。


「頼みとする彦根中将様のご受難。ご心労まことにおいたわしく存じ上げたてまつります」

「ああ。当然それもあるが、幸いにして今直ぐ身罷みまかる恐れはない。よし死は免れぬとも、跡目や政務の引継ぎは適うであろう」

「と、申しますと?」

 中将お手傷以外に何があるのか?


「登茂恵。半分はそなたのせいだ」

「は?」

 大樹公様は、ピンと来ぬわしを恨めしそうに眺め、

「当世は普請の技も進んだ故、加茂かも川の水も昔ほどには暴れはせぬ。

 山法師とて織右府様の御成敗で大人しくなった。

 しかれども今のわれに儘ならぬものが三つあり。外国とつくにと双六のさいとあれよ」

 その顔は横手に流れた。大樹公様の視線を探ると。おや? あの道具は見たことがある。


 向って左から書棚・厨子棚・黒棚と並ぶ雛道具は、美々しい黒塗松唐草模様の蒔絵まきえ

 お道具のご紋は牡丹。確かこれは、みかどに最も間近き臣下筆頭の公家、近衛このえ家の物。

「これは、大御台おおみだい(先代の正室)様の……雛様ひなさまお道具にございまするか」


「ふっ……」

 決して軽くない溜息にも似た笑いが、大樹公様の唇から漏れた。

「いかにもそうじゃ」

 二十歳前。まだ少年の面影も色濃く残る大樹公様が、隠居した老爺ろうやの如くすすけている。

「何がございました?」

 わしが問うたその時。


「あ、飛鳥井あすかい様ぁ~。お待ち下され~」

 外が騒がしくなった。


 程無く襖が開き、

「上様ぁ!」

 着ている服に少し違和感のある女性が取り巻きを連れて入って来た。

くだん白粉おしろい如何いかがなされましたか?」

 と、傍らに人無きが如く声が大きい。


 その態度のでかさからかなり上の立場と見たが、それにしてはおかしい。

 見た目三十路を越えたばかり見える彼女は、大樹公様のお手が付くには歳を取り過ぎているし、役が付くには少し若過ぎるように思えた。


 大樹公様も一瞬誰なのか判らなかったようであるが、

「……その声は飛鳥井。まことに飛鳥井なのか?」

 目を丸くなされた。わしもかなり驚いた。

 何故ならば、

「真でございましょうか? 上様。

 上臈じょうろう御年寄おとしより筆頭・飛鳥井様と申さば、四十路よそじを過ぎた貫禄のある御方と聞き及びまする。

 ですが。このお美しい方は、精々三十路みそじそこそこにしか見えませぬ。今の仰せられようから、登茂恵は上様ご寵愛のお手付き様かと思いました」

 社交辞令ではない。心から漏れた言葉だ。


 すると飛鳥井様は少し険のあったお顔を綻ばせ、袖で口元を隠して、

「ほっほっほっほっ」

 と笑われた。


「登茂恵殿。そなたが献上した新しき白粉。いつ、数が揃いますか?」

 有無を言わさぬ迫力に、

「尊き御方おんかたのお顔にもちうべき品なれば、只今試しを重ねておる次第にございまする。

 きちんと毒見を済まさず常遣いにする訳には参りませぬゆえ

 また化粧けわいの品は本草ほんぞうようなもので、人それぞれに適量が異なります。

 これも十分こなしてから後の事となると存じまする」

 なんとか言葉を紡ぎ出すと、答えに納得されたご様子で、

「そうか。早う頼むぞ。

 何せあれを用いれば、上様や創ったそなたが驚くばかりの仕上がりなのじゃ。

 わらわが嫉みに呪い殺されぬ前に頼むぞ」

 そう言って飛鳥井さまはきびすを返された。


 しかし、事はこれだけでは終わらなかった。

「上様に言上ごんじょうつかまつります」

 大樹公様に対し、畳に着いた左右の掌を三角形に揃え。その中に鼻を埋めるように平伏する貫禄の権現様たる女が一人。

 先程の話を再開する間も無く。所謂いわゆるラスボスが現れたのだ。

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