芸予を越えて1
●芸予を越えて1
南国土州を後にしたわしら
大阪までは、
大雑把には土州から予州を通り海を渡って芸州へと向かう道だ。しかし西へ東へ南へ北へ、敢えて色々遠回りさせて貰って居る。
「
牙のように切り立った岩の多い山を指すと、
「あれは
と教えてくれた。
「わしら馬子か土地の者しか知らんが、この先に馬引いて通れる間道があるぞなーし」
こんなことまで得意になって教えてくれる。
「
「判ったのじゃ」
こうして土地の馬子を雇う
「
「了解。例の額縁を持って行くんだね」
ここはと思った処では、奈津殿に偵察に行って貰う。
こうして、もし戦いの最中なら陣を布いたり纏まった伏兵を置いたり、奇襲を仕掛けるのに役立ちそうな場所を拾い上げて行く。
街道は、兵に限らず人の行き来に適した物である。しかし、街道を行軍する時が、軍隊にとって一番脆い時間だからである。
「
わしは尋常科一、二年に描かせるような地域の絵地図を見せて問う。
「伏せろと号令し自分が伏せる三秒の間に、周囲の状況を頭に叩き込みます。
その後は射撃の間隔を計り、練度と数を推定……」
わしも前世で速成の将校教育を受けた程度なのでな。まるで戦後に社会科を教え始めた頃や、二年生以下が理科社会廃止で生活科と成った頃。あるいは小学英語や電子計算機の授業を始めた頃の教員と同じで、殆ど手探り状態なのだ。
学校の話で思い出した。前世で教師と成った孫が嘆いていたのだが、当初はカレーライスを作るを
これはまだましな
件の如くならぬ様に心せねば。所詮わしの視点など下士官の域に過ぎないのだから。
壕と掻き上げ土塁を巡らせた陣に、
「助けてつかぁさい! 助けてつかぁさい!」
不寝番の立つ入口で声を張り上げて訴える者が現れた。
「何事ですか?」
吊り床から飛び起きたわしが
「近くの村で、急病人が出たようや」
「症状は? 下痢等を伴いまするか?」
真っ先にそれを確認した。もしも
「只今、衛生兵に防疫服を着用させちょります。確認まで暫し待っとーせ」
宣振の報告を受けわしは命じる。
「総員起床! 事と次第に因っては急ぎこの場を離脱いたします」
無慈悲などと言う
黒船この方、虎狼痢は日本の風物詩となってしまい。昭和の半ばまで「コレラ船」と言う季語が存在した。船でコレラ患者が出た場合、検疫のために四十日間沖に留め置かれる。これを指してコレラ船と言い、夏に頻発したため俳句の季語と成ってしまったのだ。
前世の話であるが、時代も昭和の高度経済成長を経て清潔な生活環境が
昭和四十年代には、盛んにウイルスを撒き散らす風疹患者に、妊婦が多い新興団地の全戸訪問セールスに行かせる企業が有った。
平成の半ばになっても、海外出張から帰り空港でデング熱で隔離されることになった者が会社に連絡を入れると、
「
と抜かす危機管理能力皆無な、悪い意味での脳筋体育会系中間管理職が実在した。
いずれも
臨戦態勢で整列する御親兵の面々。見捨てて離脱するか、それとも救助するか。
張り詰めた弓の如き緊張下、皆が決断の為の続報を待つ。
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