芸予を越えて1

●芸予を越えて1


 南国土州を後にしたわしら御親兵ごしんぺいは、大阪を通りご府中に帰る良庵りょうあん先生と帰路を共にした。

 大阪までは、大樹公たいじゅこう様りのご重役より指定されていた通りの道を通る。

 大雑把には土州から予州を通り海を渡って芸州へと向かう道だ。しかし西へ東へ南へ北へ、敢えて色々遠回りさせて貰って居る。


馬子まご殿。あの高い山は何でございまするか?」

 牙のように切り立った岩の多い山を指すと、

「あれは石鎚山いしづちさんぞなーし」

と教えてくれた。酒手さかてを弾み、三度の飯はこちら持ちで夜は四合程上酒じょうしゅを飲ませる為、

「わしら馬子か土地の者しか知らんが、この先に馬引いて通れる間道があるぞなーし」

 こんなことまで得意になって教えてくれる。

ふゆ殿。スケッチを頼む。日時と、目印の石鎚の峰と磁南との角度も記録」

「判ったのじゃ」

 こうして土地の馬子を雇うついでに案内させ。途中の随所をスケッチしたり写真を撮り、かなり大雑把なものではあるが簡易な測量も行って行く。


奈津なつ殿。絵師を伴い、あの丘陵の向こうを記して来て貰いたい。合わせて、丘よりこちらを俯瞰した図も頼む」

「了解。例の額縁を持って行くんだね」

 ここはと思った処では、奈津殿に偵察に行って貰う。

 こうして、もし戦いの最中なら陣を布いたり纏まった伏兵を置いたり、奇襲を仕掛けるのに役立ちそうな場所を拾い上げて行く。

 街道は、兵に限らず人の行き来に適した物である。しかし、街道を行軍する時が、軍隊にとって一番脆い時間だからである。


あき殿。けい隷下れいかは歩兵一小隊である。行軍中、不意に銃撃を受けた場合の対処を十数える間に答えよ」

 わしは尋常科一、二年に描かせるような地域の絵地図を見せて問う。

「伏せろと号令し自分が伏せる三秒の間に、周囲の状況を頭に叩き込みます。

 その後は射撃の間隔を計り、練度と数を推定……」


 参謀旅行ライゼの真似事だが、どうにもわしが教官をせねば為らぬと言う事が宜しくない。

 わしも前世で速成の将校教育を受けた程度なのでな。まるで戦後に社会科を教え始めた頃や、二年生以下が理科社会廃止で生活科と成った頃。あるいは小学英語や電子計算機の授業を始めた頃の教員と同じで、殆ど手探り状態なのだ。


 学校の話で思い出した。前世で教師と成った孫が嘆いていたのだが、当初はカレーライスを作るをって生活科の授業だと考える奴が少なくなかったらしい。

 これはまだましなたぐいで、算数は問題解決法で教えるべきだと抜かして、寄せ算・引き算を教える段階から自分達で解き方を考えろと一問で二校時を費やす奴が学年主任になって、あれこれ掣肘せいちゅうしてきて閉口した。と言う話もあったな。


 件の如くならぬ様に心せねば。所詮わしの視点など下士官の域に過ぎないのだから。



 予州よしゅうを抜ける道半ば。街道沿いのとある村の近くに露営した夜のことであった。

 壕と掻き上げ土塁を巡らせた陣に、

「助けてつかぁさい! 助けてつかぁさい!」

 不寝番の立つ入口で声を張り上げて訴える者が現れた。


「何事ですか?」

 吊り床から飛び起きたわしが天幕テントから出ると、直ぐ様控える宣振まさのぶが言った。

「近くの村で、急病人が出たようや」

「症状は? 下痢等を伴いまするか?」

 真っ先にそれを確認した。もしも虎狼痢コロリならば一大事。悪いが御親兵ごしんぺいの安全を優先させて貰わねばならないからである。


「只今、衛生兵に防疫服を着用させちょります。確認まで暫し待っとーせ」

 宣振の報告を受けわしは命じる。

「総員起床! 事と次第に因っては急ぎこの場を離脱いたします」


 無慈悲などと言うなかれ。如何に前世知識で対症療法を知って居るとは申せ。軍隊が出先でこれに遣られると機能不全に陥ってしまう。

 黒船この方、虎狼痢は日本の風物詩となってしまい。昭和の半ばまで「コレラ船」と言う季語が存在した。船でコレラ患者が出た場合、検疫のために四十日間沖に留め置かれる。これを指してコレラ船と言い、夏に頻発したため俳句の季語と成ってしまったのだ。


 前世の話であるが、時代も昭和の高度経済成長を経て清潔な生活環境がもたらされると、検疫の重要さを理解しないやからも生まれて来た。

 昭和四十年代には、盛んにウイルスを撒き散らす風疹患者に、妊婦が多い新興団地の全戸訪問セールスに行かせる企業が有った。

 平成の半ばになっても、海外出張から帰り空港でデング熱で隔離されることになった者が会社に連絡を入れると、

天狗てんぐ熱なんて病気は存在しない。さっさと出社しろ。さもなきゃ辞表を出せ」

 と抜かす危機管理能力皆無な、悪い意味での脳筋体育会系中間管理職が実在した。


 いずれも罹患りかん者のマスク着用すら、先方に失礼だと言う理由でさせなかったからと言うから、その罪は大きいと言うしかない。


 臨戦態勢で整列する御親兵の面々。見捨てて離脱するか、それとも救助するか。

 張り詰めた弓の如き緊張下、皆が決断の為の続報を待つ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る