金打

金打きんちょう


「スエ。黒船を見に参るぞ」


「姫様……」


 奉公人の一人。家で雇って居るおしたと呼ばれる小間使いのスエが、呆れ果てた目でわしを睨んだ。

 しかし直ぐ、スエは大きく息を吐いて、


「お止め立てしても無駄でしょうね」


 と恨めしそうに見る。


 この時代。どんな軽輩でも武士の娘ともなれば、外出には家来が付くものだ。

 男には男の家来がお供して、女には女の家来が付き随う。それが武士の常識である。


 しかしわしは普通の姫ではない。庭でやっとうの稽古をしている変わり者だ。

 危ないと言われても素直に引き下がる玉には見られておらぬだろう。

 止めても一人で飛び出しかねないわしに、スエは折れるしか無かった。


 しかし、


「でしたら。つとめて荒事には関わらないとお約束下さいまし」


 しっかりと釘を刺される。


「判った」


 スエの取り出した赤銅を磨いた鏡と、わしの白銅を磨いた鏡をチンと打ち合わせる。

 これがこの時代の約束の指切りだ。


 それでも、屋敷の外では何があるか判らないと、備えをするのが武士と言うもの。


「スエ。いざと言う時は寄越しなさい」


 スエに小太刀の長さの赤樫の木刀を持たせた。

 今のわしには、これが一番当てになる得物だからだ。


 尤も、童女のやわな手で剣術を始めたら、直ぐに豆が出来てしまい、大慌てしたあちゃがやっとうを止めるように忠言し始めた。それでは困るので、剣だこの固まらぬよう新たに道具を考案せねば為らなかったが。

 剣だこ対策に勘案した手袋を懐に、わしは屋敷の外に出た。



 城下は東西を河に挟まれた河の三角洲にあり、お城は三角州の北西に建つ。

 海に突き出した山を利用して築かれた、護るに堅固な平山城だ。三方を海に囲まれているから海城と言う事も出来るかも知れない。


 海に向けて、ゆっくりと城下を散策しながら歩いて行くと。


「一文を嗤う者は一文に泣く。散々食っておいて、銭が無いだと? お役人に訴えるぞ」


「いや済まん。持ってはいたのだが、これこの通り巾着切りに遣られたようだ」


 うどん屋の屋台の親父が、旅装束の男をなじっている。

 二本差しとは言え、きちんと月代さかきを剃ってある頭は、浪人とも思えない。


「後生だ。ちいと待ってくれ」


「いや。なんねぇ」


「信じられぬとあらば、これを預ける」


 腰から打刀を抜いて突き出した。流石にこれにはうどん屋も怒気を鎮め、


「わざとでねぇのは判りやした。けんどよ。巾着切りにして遣られるのは、お侍様として士道不覚悟っちゅーもんでないんですかい?」


「その通りだ。一言もない」


「けんど、まさかお侍様の魂を預かる訳にもいかねぇです。

 おらはしがないうどん屋だ。質屋の株もねぇおらに無茶言わんでくんなまし」


 と、当惑気味な声を漏らし参ってしまった。



「スエ。銭はいかほどあるか?」


「天保銭が三枚に一文銭が三十五枚。天保銭が八十文ですから、しめて二百七十五文にございます。立て替えて遣るのですね?」


 わしが頷くと、スエが話に割って入った。


「これ、あるじ殿。お困りですか? 宜しければ姫様がお立て替えしようと仰せです」


「ほ。本当ですか?」


 スエの銭だがうどん屋の主に向かって頷くと、


「ありがてぇ! 巾着切りに遭うような、士道不覚悟なおさむれぇでも。まさかお腰の物を受け取れねぇ。

 どうしたものかと困り果てておりやした」


「いかほどか?」


「一杯十六文で、全部で九杯。えーと。流石にそこまでは書いてねぇ」


 一杯から六杯までは、屋台の張り紙にいくらなのか書き付けてあった。


「簡単じゃ。一杯十六文なら十杯で百六十文。九杯だからそこから十六文を引けば良い。スエ。天保銭を二枚渡し、あるじから十六文を受け取れ」


 わしが声を掛けると、これくらいの計算は判るらしく主は素直に応じてくれた。



「かたじけない。どこの姫かは存じぬが、急ぎの手紙を届ける最中。

 よって身の証しを立てるすべとて無いが。今は武士の一言を信じて頂きたい。

 とは言えご当地は不案内。どう参れば良いのか迷って居る」


「どちらに行かれますか?」


すぎはぐくみ の吉田殿。そう言えば解るとだけ聞いている」


「ああ。それなら……」


 スエが知っているらしく道順を教えた。


「すまんな。立て替えの支払い、用を済ませ次第直ぐに参る」


「構いません。色々あなたも忙しいことでしょう。後で谷屋の屋敷を訪ねて来なさい」


 近くには、姫と呼ばれる者はわし以外には居ない。これでどの屋敷か通じるはずだ。


「かたじけない。我が腰の肥前忠広ひぜんただひろに懸けて誓う」


 脇差の鍔を左の親指で押し出し、軽く鯉口を切ると。男はぱっと開いた右の掌で柄頭をチンと叩いて押し込んだ。

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