黒船が来た

●黒船が来た


 弁当下げてゴザ敷いて、黒船見物に来る庶民の群れ。

 鎧兜に身を包み、目を血走らせて沖を睨む武士の群れ。


 対照的な二つの群れが、遥か沖を眺めている。

 その視線の先には停泊する一隻の黒船。攻めて来る訳でも過行く訳でもなく、海岸から二キロメートル程沖合に鎮座している。


 確かこの時代の日本の大砲の射程は一キロメートルちょっと。なのに外国ではアームストロング砲の射程が四キロメートル。

 四倍も射程が違うなら、撃ち合って勝てる訳がない。

 所詮は九四式山砲の半分の射程に過ぎないが、この時代は地平線の向こうまで届く大砲として、注目を集めていた筈だ。


 目敏い者達が、物見遊山の庶民や、警備に駆り出された侍相手に食べ物の小商こあきないをしている。

 例えばそこ。屋台で裕福な家なら子供でも買えぬ事の無い、一つ一文の一口団子が醤油を絡めて焼かれており、香ばしい匂いを放っていた。

 匂いに釣られてぽつぽつと、大人や子供が買って行く。


 こんな光景が見られるのは、政治が上手く行っているからだ。

 今世の父は存外に名君かもしれない。わしはこの光景を見てにんまりとした。


「姫様。召し上がりますか?」


 わしが屋台を眺めているのを欲しがっていると考えたお供のスエと言う娘が、先程と同じように自分の財布を取り出した。



 家来と言っても今は、江戸時代の始めに扶持ふち知行ちぎょうと呼ばれる家禄かろくに応じて軍役に定められた家来の数を、員数合わせに賃雇いの農民で間に合わせている。

 なにせいくさの無い時代だから、戦うための家来ではなく中間ちゅうげん下女げじょと呼ばれる労働力が定員を埋めて居るのだ。


 なぜか? 家禄は幕府開闢から何百年も変わらない。しかし物価は時代の流れで少しずつ値上がりしている。

 なのに武士は体面が大事だから、身分支出を避けられない。


 例えば。先祖の手柄で家禄を貰っているのだから、先祖の祭りを欠くことが出来ず、先祖一人一人の命日の度に、法事で寺に金を使うのが当たり前。

 例えば。他家より家来が使いにくれば、使いの度に十五文程の駄賃を渡すのが慣例である。塵も積もれば山と成るの喩え通り、これが結構馬鹿に為らない。


 時と共に鬼籍に入る先祖が増え、時と共に物価が上がる。物価の値上がりには家来の給金も入っている。

 何百年も家禄は固定でベースアップが無いのに、いやそれどころか半知借り上げで収入半減。

 これで支出だけが増えて行く。つまり武士はゆっくりと窮乏して来ていた。


 だから身分支出が殆ど無く、使いの度に駄賃の入る農民出身の家来の方が、主家よりも金回りが良いことが珍しくもない。

 それゆえ、お金を識らず銭を見たらお雛様の刀の鍔と思うであろうわしの為に、お下が自分の小遣いを使おうとしているのだ。


 生憎、今世のわしが雛鍔ひなつばな姫であっても、前世のわしは百年を生き抜いた世知があるのだし、このような場所で食べ物を欲しがるわけも無いのだが。



「さ。姫様。お召しあがり下さい」


 お下が一つ購って来た。笹の葉に包まれた一口団子だ。


「さ。どうぞ姫様」


 特に欲しい物でも無いが、こうまでされては食べぬ訳にも行かない。

 刺した楊枝で口に入れると。うむ、中々に美味い。



 領民達に混じって沖の方を眺めていると、漸く藩庁から交渉の役人達が遣って来た。

 皆腰回りの他武器を持たぬ平服で、矢切の渡しのような小舟を漕がせて沖へ行く。


 前世の歴史では、黒船は真っ直ぐに浦賀へと向かったと記憶している。

 しかし今世では、このように地方の街に遣って来た。

 さらに船の形がおかしい。遠目にはっきりとは判らないが、少なくともわしが知るどの船とも似ても似つかない形していた。


 気候や地形は浦賀とは程遠いこの地に、黒船は何をしに来たのであろうか?

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