第三章 巨勢の秘薬
適塾
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再び船に乗り込み海路を進む。
その中で、わしは大阪での予定を話す。
「大阪では、久坂殿から預かった
先様の都合もございますので、当地には半月は逗留致したいと思います」
立って居れば親でも使えと人は言う。
わしは藩の抱える学者様から、蘭学の塾を開いている適々斎殿に宛てた手紙を預かっていた。
まぁ実際には、わしの目的の為に手紙を書いて貰って居たのだが。
「そう言えば。適々斎先生は、
私塾は先生の名より適の字を採り、適塾と言うそうで」
春風殿がぼそりと言った。
航海は風にも恵まれ、予定よりも二日も早く大阪に着いた。
宿は藩の蔵屋敷。
「なあ姫さん。こんな所に居っても良いのか?」
熱気の籠る部屋で、下帯一枚で勉学に励む若者達。その異様な光景を見て
普通異分子がおれば、多かれ少なかれ意識を向けるものであるが。塾生達はわしらを空気のようにして、鬼気迫る表情で学んでいた。
「変わり者とは聞いておりましたが。自分は姫様が関わって良い者達には思えんのだが」
「蔵屋敷に向かった春輔は良いとして。
宜しいのですか?
困ったものだと狂介殿。
「行きたいのならお好きになさいませ。宣振もです。ここなら護衛も不要と思います」
「いやいや。姫様をまさか、こんなむさ苦しい男所帯で一人にする訳にも行かんでしょう」
大阪の街を見物して来ても良いと言ったのに。律儀にわしの傍を離れぬ狂介殿は、陰気な顔で眉を顰める。
小一時間くらい待たされただろうか。
若いながらも貫禄のある男が現れた。
「生憎ですが、先生は所用で京に向われました。
先頃京に伝来した種痘と言う、
当地に種痘所を開く為、先生自らがお動きになられました」
「あなたは?」
誰何すると、
「申し遅れましたが、塾頭の
と頭を下げた。
塾頭と言えば、塾生の頭で適々斎殿の代講を務める人物である。
「では」
とわしは彼に言う。
「適々斎先生に代わり、この書物に目を通して下さいませ。
ここには列強の研究所に伍する
この書物にある事柄の追試をお願いしたいのです」
わしがこちらに持ち込んだ物。それは新しき染料の作り方だ。
無論、わしの前世の知識に基づくもので、内容自体はゆとり教育以前ならば確実に、高等学校で習う物であった。
紀州の山奥から流れて来た、素性の知れぬ母親の持ち物と言う事に仕立てた。
母の形見の品から発見された秘伝の書と言うのがわしの考えた触れ込みだ。
因みにこれを記すにあたり、薬品の名などで色々と造語も行った。もしもわしの前世に棲む人間が読んだ所で、化学に詳しくなければそれが何物であるのか見当も付かぬことだろう。
「これは
「青木先生の検証に誤りがなければその通りです」
「この
「はい。石炭を蒸し焼きにして出る
他の薬品はありますね?」
前世の名前で呼ぶならば、硫酸・硝酸・亜鉛粒・重クロム酸カリ……。
青木殿は、ここにならあると断言された。
「石炭から作る染料ですか……興味深い物があります。
これをお貸し頂けるので?」
専斎殿は身を乗り出した。
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