時を揃えて翼を添えて

●時を揃えて翼を添えて


「時計を合わせます。午前九時三十秒前。四十、五十、五十五、六、七、八、九、今!」

 永福寺えいふくじにて、十時開始の演習の最後の顔合わせ。

 各隊指揮官に渡したエゲレス製の懐中時計は、一日の狂いが五分以内。クオーツが当たり前の時代の感覚では酷い誤差だが、この時代ならば正確な時を刻む文明の利器。これから各所に散った指揮官が、分刻みのスケジュールを熟して行く。



 わしは江ノ口川のなわてに築いた陣地に入る。ここには、気球用のガス発生装置とガスタンクが設置してあるからだ。

 ガスタンクと言っても、平成の石油コンビナートにある球形の高圧タンクでは無い。水圧を利用した何段もの円筒が伸び縮みする旧形式の物である。


「海綿電池、電圧異常なし。電信異常なし。圧力計異常なし。排気弁異常なし。正副落下傘良し。気嚢きのう注入弁、八つの気嚢全て開放。ガス注入開始」

 一つのガス発生装置で、空の状態から気球を飛行可能にするのに凡そ半刻はんとき。なるべく気嚢きのうに空気が入らぬ様に注意深く入れて行く。水素は危険な気体ではあるが、酸素さえ混じらなければ安全性はかなり高まる。このため全体が膨らんである程度圧が高まった段階で、

「下弁開放。排気開始。注入継続」

 下から注入初期に入り込んだ水素以外のガスを捨てる。

 この時一緒に水素ガスまで捨てる事になるが、安全性には代えられない。気嚢の中が純粋水素のみである限りは、仮に銃で撃ち抜かれてもガスが抜けて降下するだけだ。急には浮力を失わないから、その間に脱出するなり不時着するなりの手段が取れる。


「砂袋詰みます」

 藤細工のゴンドラの周囲に、砂を詰めた重りがパッキングを締めるかのように、対角線上に均等に据えられて行く。

「画板・木筆もくひつ・遮光板・方眼良し」

 枠に糸を張った観測用の方眼や写生道具を所定位置に固定する。

信書管しんしょかん並びに降下滑車二十。異常ありません」

 これは本来伝書鳩で手紙を入れる筒を指す名前だが、ここでは上空偵察による写真代わりのスケッチ等を係留索けいりゅうさくを伝わらせて地上へ送る為の容器の事である。

「下弁閉鎖」

 ゆっくりと膨らんで行く軽気球。高知のお城よりまだ高い荒鷲の視点から地上を見下ろし、高所偵察や着弾観測を行うための最新兵器だ。


「お春。頼みますよ」

 今回ゴンドラに乗り込むのは主計方のお春ともう一人。予備隊士を代表して乙女おとめ殿である。

「これが空に浮かぶのやか。父上にも見しちゃったかったにゃあ」

 心臓の鼓動が聞こえて来るほど、乙女殿はわくわくしている。無理もない。乙女殿は土州で一番最初に大空に昇る者と成るのだから。



「なんだこれは? 千歯扱せんばこきにしては、目が粗いなぁ」

 あちらでは、相変わらずふゆ殿にこき使われているベタ赤二人が、リアカーのフレームに六尺程のスパゲティー掬いか歯の太い櫛を連ねたような突起を取り付けていた。


「これは御親兵ごしんぺい砲兵隊でも一、二を争う兵器で天楝蛇あまかがしと言う。すぐに見せて遣わす故、腰を抜かすでないぞ」

 問われて簡単な説明を入れる生殿。これも今回土州侯様にお見せする目玉兵器の一つだ。

 人に対して使う場合、威力よりも見た目の派手さの方が勝っているが、船や建物などに向ければ恐ろしい威力を発揮する事であろう。

 その他。幸筒さちづつ仁吉にきち砲の準備がなされて時を待つ。



「十時です」

 わしの声に、ダダダダダダダダ! 小太鼓が打ち鳴らされる。

 そして予定通りこの陣地、井口畷いぐちなわての兵が動き出す。


 高知演習の始まりである。

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