宴もいよいよ酣に

●宴もいよいよたけなわ


 盃に注がれる澄んだ液体。酒精の香りも樽由来の木の香りも無い所から、これは酒ではあるまい。

「ささ。ぐいっと。あんたん為に作らせたもんだ」

 言葉は荒いが、心を許したが故のお国言葉と見た。

 大樹公の直臣であるこのわしを、手打ちの場で騙し討ち。まして毒を盛るとは思われぬが、親分自らが毒見してわしに渡す。


「甘うございます。これは?」

「おくましの冷や水に、讃州さんしゅう和三盆わさんぼん(砂糖)を溶いたもんだ」

「おくまんだし。と申しますと?」

「お熊様(熊野神社)の出し杭辺りから汲んで来た水だ。

 大樹公たいじゅこうも茶の湯に使う、ご府中指折りの名水さ。野田の醤油の仕込み水にも使われてる」

 高価な讃岐の和三盆糖と名水の組合せは、後味のさっぱりとした上品な甘味。


「気に入らねぇか? あんたん口にゃ、灘の酒より合うと思って仕立てたんだが。

 和三盆の粉のまんま出した方が良かったか?」

「いえ。私は病人ではございませぬ」

 そのままの和三盆など、麻疹はしかの時に舐めたきりだ。

「じゃあこちらを食え」

 勧められるのは田舎饅頭。親分は手で二つにき、

「あんたの選ばなかった方をおらが先に食う」

 客人であることとこちらの身分をおもんばかってか、毒見役を務めようとしている親分。

「いいえ。親分の用意した物に間違いは無いでしょう」

 わしは、まるで餓鬼のように素早く片割れを口へ運んだ。

 皮は薄くしっとりとして、餡は塩餡を使っている。

 ああ。素朴な半殺しの小豆の舌触りが良い。予め枯らしてあるのか、粉を吹いたようなざらつきは感じられるものの尖った塩気は感じられず、塩が小豆固有の甘味を上手く引き出している。

「どうでぇ。丹波の小豆に讃岐の藻塩。出入りのもんに丹精させた饅頭よ」

 こうしていると、切った張ったの世界からは縁遠い男に見える。親分のわしを見る目は、まるで孫を見るじじのように穏やかであった。



 煮豆や野菜の煮付けを肴に宴は進む。未だ度は越しておらぬようだが、軍次殿の顔は猿のように紅い。

 わしは無礼講に移ってこの方、一口も酒を飲んでおらぬ。されど気の置けぬ宴の雰囲気に、わしは程好い酔いを楽しんでいた。


 夜も更け宴も今や酣になった頃。

「てぇへんだぁ~!」

 ドタドタと駆けこんで来る若い衆。


「どうした!」

 酒が入っていても、忽ち戦人いくさびとに変ずる親分は、右に置いてあった紙縒こよりで鍔と鞘を括り付けた長脇差を掴んでいた。

 抜くには少々手間が掛かるが、鋼の刃は鞘中に有ってなお、防ぐには十分。


 わしはいつものウサギの膠で張り合わせた手袋を嵌め、固く革紐を拳に巻いた。

 腰の物は、真剣こそ手打ち故に置いてきた。しかし代わりに差して来た躾刀しつけがたなでも、護るに易き我が流派。

 ガタンと障子戸を蹴り倒して現れた襲撃者達に、わしと親分は同時に反応した。


「きぇぇぇぇぇ!」

 跪坐から跳ね起きると同時に擦り上げた躾刀で脇を突き上げると、

「ぐへっ」

 体勢を崩しよろける襲撃者に、

「きぇぇぇい!」

 トンボから叩きつけた一撃。されど押し込まれながらもなんとか受けた襲撃者に、わしは鍔迫り合いに持ち込まれてしまった。

 普通。こうなると只の力比べに為る事が多い。

 算盤を弾いて彼我の体格と膂力は、数えの十のわしと大の大人の奴とでは囲碁にして井目の隔たりがある。

 敵手としてはわしを押し崩して、あるいは抗うわしの肩を空かして崩した所を討つのが必勝の術。


「姫さん!」

 危うしと見て、自らも二人の襲撃者と対峙する軍次ぐんじ殿が声を上げた。

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