白い虹4

●白い虹4


 洞春どうしゅん様とは、江家こうけ中興の祖にして藩祖の祖父。つまり今世のわしの先祖である。

 それと同じ血を引く嶋津しまづ前亜将さきのあしょうとは、当代ではなく先代の薩摩の殿様の事だ。

 当代も唐名とうめいこそ同じ亜将様だが、先代の左近衛さこんえの中将に対し、当代は左近衛少将と一段格が落ちる。しかも現役の亜将様なのだから。


「薩摩隼人は律義者にございますね。

 しかしいくらご主君と同じ血を引くと申されても、三百年も昔の事にございます」

「貴人ば討つには、それなりん礼儀がおっど。

 武士ならば、憎き仇でん寝ちょっ所は討たん。

 曽我兄弟んごつ枕を蹴って驚かし、叩き起こした所を討つもんじゃ」

斬姦状ざんかんじょうでも送りましたか?」

「なに。おい達が襲撃を企てちょっと密告させた。文は羽林も見た筈や」

「なるほど」

 頷いたわしは、

「お春。円匙えんぴを寄越しなさい。

 有村殿が薩摩のお止め流で参るならば、刀では太刀打ちできませぬ」

 ライフル弾を食い止める厚みを持つ鋼の円匙だ。武器として用いた場合の威力はこのわしが知って居る。

「こちらも、当流・三星一文字さんじょういちもんじ流をもってお相手致しましょう」

 静かにわしは円匙を構えた。

「なっ!」

 驚愕の彩が浮かぶ有村殿の顔。

 さもあらん。彼が使う薩摩の御止め流とは、正しく薬丸示現流。つまり前世でわしが会得して、今世に持ち込んだ剣と同じなのだから。


 彼我の距離は今、同時に突っ込んで行っても一呼吸するに足る遠間とおあい

 意表を衝かれて迷いが出たのか。あるいはいくら死ぬと決めたとは言え考えなしに闘って無様な返り討ちに為らぬ様、こちらの情報を探っているのか。有村殿は攻めて来ない。


「聞かん名だが、三星一文字とは江家こうけん御紋。尊藩そんぱんん御止め流と見た。

 よもやそいが当流と瓜二つとはな。じゃっで見ただけで解っ。わいは手練れであっとな。

 おなご風情が生意気やと、侮っちょったとをあやまっちょく」


如何いかに薩摩隼人が強いとは言え、それを産むのは女にございまする。

 賢章院けんしょういん様のご薫陶無くして、二人の名君一人の賢夫人は生まれますまい」

「なんと、わいはご生母様をご存知か」

 目を見開く有村殿。


御自おんみずから乳を与え、イロハのイをも弁えず西も東も知らざりし頃より聖賢の書をおしえ、手塩に掛けたからこそ斯く成ったのでございます。

 もし夭逝されたお二人に、後二十余年の寿命いのちがあれば、必ずや一廉の者に生い立ったことでございましょう。三十余年の時間が有れば、天下にその名を轟かせたに相違ございませぬ。

 もし賢章院様がご健在であれば、薩摩にお家騒動など起らなかったことにございましょう」


 今の言葉に感極まったのか、有村殿は

「そうじゃ。ご生母様げらっしゃたら可惜あたら由羅ゆらん思うがままに ……」

 男泣きに涙ぐんで頷いた。


 今の主君の祖母に対して随分だが。これが有村の偽らざる心根であった。

 そう、賢章院様が長生きされて居れば。前世のわしも幼少時、何度も若死にを惜しむ声を聞いたものだ。



 わしとの会話でかなり毒気を抜かれた有村であったが、この頃になると事態は進行していた。

 これは後から判った事だが、彼を除いて襲撃者は討ち死にするか、他日を期して離脱していたのだ。


 漸く駆け付けて来た彦根の増援に、襲撃現場は十重二十重に囲まれていた。


「詮議を尽くした義挙やったが、不覚にもをゆてしもたな」

 言い訳がましい理屈を捏ねてしまったと、有村殿はわらった。

長姫ちょうひめさー

 放っちょいてもおいん負けだ。おなごん身でいまさら一騎打ちをせんでんよかはずだ。

 じゃが、一片ん情けが有れば立ち合うて欲しか」

 誰でも懐くようなすがしいばかりの笑顔。


「互いの剣は一撃必殺。私も一個の剣士として、雄敵ゆうてきと戦いたいと思います。

 良いですか。決して私に討たれようと思召おぼしめさるな。それは侮辱と言うものにございます」

「判った。神懸けてわいをたおす積りで行っ」

 互いに一礼して、わしらは、


「きゃあーっ!」「きぇぇぇぇ!」

 雄叫びを上げて身体のリミッターを外し、火事場のクソ力を振り絞って斬りつけた。



 時間がゼノンのパラドックス。つまり亀にアキレスは追い付けないことを実証するかのように、距離が縮まるほどに伸びて行く。

 わしらは音を失い、さらには彩を失った無声で白黒の活動写真の中に入り込み、初太刀の唯一刀に己を懸けた。


 画中の身と成りて、ゆるりと動く有村殿。その顔が、満ち足りたように笑みを浮かべる。

 多分、わしも同じ顔をしていることだろう。

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