第六章 小さな合戦

見知らぬ傷痕

●見知らぬ傷痕


 真っ赤な空を数羽のからすが飛んで行く。

 内緒の話を終わらせて、乾いた咽喉を潤そうと下に降りると。

 藁を焚く煙と飯の匂いが漂って来た。今、厨房で女将のお登勢が飯を作って居るのだろう。


 わしが竹の柄杓で水瓶から水を一口飲んだ丁度その時。守り子のおりんが赤ん坊を背負って戻って来た。


 薄汚かったおりんも、お春が行水をさせた甲斐もあり、今は顔の窪みの汚れも取れて幼い女の子の可愛らしさを取り戻している。

 服は真新しいこざっぱりしたもの。しかしそれは普通の着物では無かった。


 世に零落窮乏を指して紙子かみこ四十八枚と言う。布を買えずに紙を貼り合わせて作る衣を着るような境遇の事だ。胴の前後に二〇枚、左右の袖に四枚、それに裏を着けて四十八枚の紙で拵えることからこう言われるのだ。

 因みに同じ紙子でも、通人が着る物は十文字紙子と言い、べニアのように紙の縦と横が直交する様に三枚を重ねる丈夫な物になる。


 只の紙子でも無いよりはましと言う物なのに、おりんの紙子は赤貧を体現するかのように酷い。

 丈が膝上二寸半。しかも裏の無いひとえの紙子。

 おりんの歳ゆえ本断ちではなく四身で作られるのは当たり前だとしても。これは使う紙のケチり過ぎだ。



「おりん! わしのやった服はどうした?」


 身分の制約があるから、おりんに袴は着けさせられない。しかし木綿の絣ならば問題あるまいと一枚くれて遣っていたのだ。


 わしの剣幕におりんは、


「ぐすっ……」


 とべそを掻いた。



 わしにも覚えがあるが、不学と言うのは辛いものだ。


 まだわしの頃には尋常小学校があり、男は兵隊に行くからイロハのイの字がどちらを向いているのか判らぬようでは家の恥と、学校へ通わせて貰った。

 それでお国の定めたる六年むとせの学びの道を踏む事が出来、世の人並みの文字を積み、道の筋を分け得ることが叶ったのだ。

 そしてわしが些かの優等生でもあったため、村の篤志家より高等科の二年を積み増して貰えた。

 流石に中学までは無理であったが、ここまで来ると親にも欲が出たのか、後の立身の元手とばかり中学講義録を取り寄せて勉強することが許されたのだ。


 お陰様でわしは下士志願の叶う学識を備える事が出来た。戦地で高等武官たる少尉の戦時任官にも預かった。

 中学出や士官学校出と比べて著しく不学にゆえに苦労はしたが、遂には敗戦の解散に当たりせめて名誉だけは報いたいと、兵隊上がりの元帥と呼ばれる大尉の位を得て軍歴を終える事が出来た。

 所謂ポツダム大尉と言う奴だが、わしの位は少年倶楽部ののらくろに並び、後年これがわしの道を拓いてくれたのである。全ては学ぶことが許されたからだ。


 しかし明治生まれの一番上の姉の頃には、農家の娘は学校そのものに行かない者が多かった。

 子供でも重要な働き手であったからである。

 しかもこれは何も銭金だけでの問題では無い。街の金持ちの家でも、下手に学問を身に付けると嫁の貰い手が無いと、行かせなかったり中退させたり。昭和に為っても尋常科で終わらせる家も珍しくは無かったのである。



 不学。それもイロハのイをも弁えぬおりんのことだ。恐らく、言いたいことを上手く言葉に出来ないと見えて、わしの言葉に泣くしか無かったのだ。

 まだ言葉を話せぬ幼児が癇癪を起しやすいのと同じ理屈である。



「お春は……家に帰ったか」


 わしの奉公人として雇いはしたがここは宿に過ぎぬ。お春の実家がここの近くなので京を出立するまでは通いであった。


「ん?」


 わしは、泣きじゃくるおりんの腕に布が巻かれ、血が滲んでいるのを見つけてしまった。

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