恐るべきは

●恐るべきは


 気球ががると海が見える。

 晴天の強いを受けたガラスの海のその上に、大船の帆影白々と映え。かもめの集まるその下に。白く波立つ雑魚の群れ。雲路を浸すはて近く、鯨尾の振るう様が見えた。


「こないな景色は、お殿様でも見たことあらへんやろう」

 スケッチに勤しむお春が、木筆もくひつ(鉛筆)の芯を舐めながら話し掛けると、

「多分、土州ではうちが初めてなんやろうね」

 レシーバーを付け、天眼鏡てんがんきょう(望遠鏡)を手にした乙女殿も感慨深げに答える。

 だが半分物見遊山な空気も、

「入電!」

 レシーバーに呼び出し音が入って来るまでだった。



 お春が描いた糸格子越しに見る風景。それを納めた信書管を、気球の係留索けいりゅうさくを滑る滑車が下に届けてくれる。以降、糸格子と同じマス目の方眼の紙で位置を知らせるのだ。

 気球観測班の当面の役目は二つ。一つは戦場の鳥瞰報告。イロハと数字でマスを指定し、上から彼我の配置や移動の様を下に伝える。そしてもう一つは通信の中継だ。


「お春殿。信殿より発光信号。『膠着。対峙す』」

 山田橋膠着の情報が電信で下に送られる。

「電信。第一、第二別動隊に連絡。『山田橋膠着』」

 乙女殿は指でじゃんけんの鋏を作り、その中に別動隊を入れ、鏡で指に光が当たるように信号を送る。

「第二別動隊より返信『我、急行す』」

 無線の発達した後の時代からすると、とてもまどろっこしい遣り方であった。しかし今現在、これは御親兵ごしんぺいだけが成し得る最新最速の伝達手段なのである。


「乙軍の援軍らしき者、川上から川沿いに井口なわての陣に接近中。規模は小隊」

 電信で伝えられると。下は対応の動きが始まる。地物を利用して接近しているが、上空からは丸見えであった。



仁吉にきち砲、模擬弾装填。目標、乙軍山田橋守備塁。距離二町半。横風二」

 江ノ口川沿いに進むわしらは、山田橋対岸を睨むこの場所に砲兵陣地を形成した。程なく、

「第二別動隊。山田橋後方に回り込みました」

 上空の気球から、発光信号で連絡が入る。

別一べついち(第一別動隊)は1120ひとひとふたまるを以って、攻撃を開始す」

 わしは通信の伝達時間を計って、気球に向けて発行信号を送らせる。

 仮橋を渡り、山田橋の後方に回り込んだ第二には幸筒さちづつがある。同時に後方からも砲撃を開始して混乱せしめ、その隙に後背を突くのだ。


 至近距離でなければ、直撃を食らっても対した怪我をしない模擬弾とは言え。これが同時攻撃の恐ろしさ。

 斜め前から後ろから、短時間で矢継ぎ早に送り込まれる砲弾。そして混乱の静まる間もなく間髪入れずに行われる後方からの突入。やや遅れて繰り出される本隊の吶喊とっかん

 山田橋がちるのにそれほど時間は掛からなかった。


 くして演習は文句無しに乙軍、即ち御親兵の勝利に終わる。今回は新戦術と新兵器の威力をまざまざと見せつけた結果に終わった。



 ゴーン! 捨て鐘が鳴り響いた。

 時計は十二時八分。本来の演習修了を告げる九つの鐘だ。


「何とも恐ろしいものや。恐るべきは時計と通信の威力にゃあ」

 観戦武官の後藤殿は肩を竦める。乙軍側から戦いを観ていた彼は、新兵器・幸筒の旧来の常識を覆す瞬間連射能力よりも、タイミングを合わせた同時攻撃の威力を脅威として受け取ったようだ。

「午後からは、標的相手の実弾を使った演習をお見せ致します。お昼ですので弁当を使いましょう」

 わしはとてもそんな気には為れないだろうなとは思いつつ、後藤殿を誘った。

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