無い袖

●無い袖は


 会津松平家の京屋敷。

「松平家御家中からの浪士組のお手当ては?」

 わしの質問に、

「国許がらのお沙汰や、金子きんすが遅れでる」

 留守居役るすいやく殿は答えた。

「無い袖は振れぬ。と言うことですか」

「お恥ずかしながら」

 上からのお沙汰は兎も角、金子の遅れは如何ともし難い。なにせ会津の侍は、以前聞いた小鉄殿の話では、うどん一杯自由に食べる事も出来ないほど手元不如意であるとの事だからな。


 会津の財政は宜しくない。今年元服する者が生まれた頃には、面扶持つぶらぶちと言って家禄に関わらず家族が生きて行くのに必要最低限のものだけを支給する非常事態であったのだ。

 今は幾分持ち直したからと言って、今回の京都守護代就任に即応するだけの金が無い。為に、治安維持のために抱えた浪士達にも面扶持が適用されたと言う事か。


 同じく浪士の世話を任された壬生みぶ鳥居とりい家の場合、会津のように足高たしだかが積み増された訳でも無いのだから、こちらはもっと余裕が無い。


「つまり、皺寄せが新撰組しんせんぐみし掛かり、そのツケが町家まちやに回されたと言う事ですか」

然様さようにございます」


 世の中の問題の十中九までがお金で解決出来るものだと言う。それだけに、喫緊きっきんの予算を欠く新撰組は危うい。


奈津なつ殿。壬生鳥居家が掴んでいる限りの情報をお願い致します」

 わしは奈津殿に開示を求めた。



 新撰組は誕生以来波乱続きであったと言う。

 先ず、足らぬ予算を起因とした意見の相違からなる内部の衝突で刃傷沙汰。木鶏もっけい殿がご府中に呼び出されることになり、責めを問われ事実上の罷免。

 次に木鶏殿罷免を理由に脱退を申し出る者が相次ぎ、更に木鶏殿が確保していた金主きんしゅが離れ、更なる待遇面の急速な悪化で抜けて行く者が現れた。



「結局、残ったのは試衛しえい派と水府すいふ派なんだよね」

 奈津殿が溜息を吐く。

「勢力も互角ならば、領袖りょうしゅうの腕もほぼ互角。試衛の島崎しまざき殿も強いが、水府の芹沢せりざわ殿も水府一刀流の達人なんだ」

「水府一刀流ですか……」

 上巳じょうしの変では、数の暴力とゲベールライフルのおかげで斃せた。しかし長物や飛び道具が無い場合、どれだけ犠牲者を出していたか判ら無かったであろう。彦根中将様も討たれたかも知れない。


「奈津殿、そして京都留守居役殿。急ぎ新しき金主を探さねば為りませぬ。さもなくば、芹沢殿達が勝手に金策を進める事でありましょう。

 勤皇の賊と同じ事を、取り締まるべき新撰組が為すとしたら。有象無象の賊とは異なり責任所在が明白だけに、その悪評は全て会津少将様が被ることに為りまする」

「そ、それは困ります!」

 とてもじゃないが、間尺まじゃくに合う話ではない。


「先程、芹沢殿の腰の物を拝見致しました。私に刀の目利きは出来ませぬが、それでも解る程の業物わざものにございました。

 目利き出来ぬと申しておきながら目利きするとはと、いぶかしみ為されるな。衣笠山きぬがさやま愛宕あたごのお山を比ぶれば、愛宕の高き事は明白にございまする」


 因みに衣笠山は北区と右京区との境にある標高二百一メートルの山。愛宕は右京区の標高九百二十四メートルの山である。並みの刀とはそれ程の違いがあるとわしは言った。


「そだ刀だが?」

 それ程の刀ですかと聞き返す留守居役殿に、

「|宣振の見立てでは、初代や四代ではございませぬが三原正家みはら・まさいえとか。斯様かようなな刀を所持する者は何者とお思いになりまするか?

 只の浪人とは思えますまい」

 絞り出すような声で留守居役殿は言った。

「帝に連なる者、さもなくば大名の御落胤ごらくいんかと」


 そのような者を粗末に扱えば、後のわざわいの元となるであろう。

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