名刺

●名刺


 操六翁そうろくおう隠居所の離れ。

 床の間の柱を挟んで、柱に向かって右側の座を勧め、自らは左側に座る安五郎親分。


「若様。どうか堪忍してくれんけ。

 柱を後方しりえにお座り頂くのが筋だが。そちらは二人で俺らは三人。

 敵味方も定かでねえこの場では、逃しはせんとの威圧の構えにまっちゃう。

 ほれでは纏まるものも纏まらんずら」


 安五郎親分は、わしに軽く詫びる。そして、


江家こうけの若様。

 こっちの白いのが隣村に縄張りを持つ勝蔵かつぞうで、黒くてでけーのが三河の方で一家を構える亀吉かめきちと言ってな。元はご府中ふちゅうで鳴らした雲風くもかぜて言う相撲取りよ。

 どちらも俺の兄弟だ」


 わし達に二人の弟分を紹介した後、少し顔を曇らせて言う事には、


「ここを訪ねて来たんなら知ってるて思うが、俺ぁ兇状持ちだ。

 しかも島を抜ける時、島の名主を殺してる。名主の孫にも怪我を……」


 関りを持とうとするわしらに隠さず、述べようとする。



 悔いる安五郎親分の言葉を


「兄貴!」


 勝蔵が遮った。


「ほれは兄貴が遣った事じゃねえ。全部あいつらが……」


「いいや兄弟。ほれはとんでもねえ考え違いだ。

 島抜けの相談を受け、こうして俺も抜けただ」


「ふんだからって何も兄貴が。

 そもそも兄貴が相談受けたのは、名主が死いだ後だったじゃんけ」


いくさでも、負けりゃあ大将が腹切って収める。

 さかずきを降ろしてやった訳ではねえが。あの中で一番上は他でもねえ、この俺じゃん。ふんだからあれは全部俺の落ち度なんだ。

 いったい、子の不始末の尻を持たんで親が務まるものかね」



 前世、昭和も末のリクルート疑獄の時。まだ子供だった孫や曽孫ひまご達に、十二年前のロッキード事件のビデオを見せて遣った事がある。


 出始めの家庭用ビデオからの複写で相当劣化していたが、質疑の有様は問題無く映っていた。

 子供達は皆一様に、彫像のように成ってじーっとその様を眺めていたが。終わるとふぅーと息を吐き出した。

 そして田中元総理や児玉氏を尊敬の眼差しで見て、


「凄ぇ!」


 と感嘆の声を漏らした。


 曰く、


「秘書のせいにして居ない」



 田中元総理も児玉氏も、誰が誰なのか全く知らない世代で有ったのだが。これだけで子供達には、無条件で尊敬出来る格好良かっこよい大人に見えたらしい。


 その時の彼らの気持ちが今、漸くにして理解した。



「感服仕りました。

 親分が鉄砲撃ちで、共に島を抜けた者達が鉄砲。斯様かように仰るのでございますね」


 わしはそっと半直角に頭を下げる。


「あ、あああ、頭を上げてくれんけ。わ、わわ若様っに、こここ、こんなこん ささ、させたら……」


 恐縮して吃音が出る安五郎親分にわしは、


「身分に頭を下げるのではございませぬ。親分のおとこだてに頭が下がるのでございます」


 とまことを吐き出す。

 すると、ゆっくりと顔を左右に振った安五郎親分は、


「いいや。俺みてーな半端者に頭を下げるものではねえ。

 こんなこんは、東からお天道様が昇るみてーに当たり前のことだ。

 一家の親が黒いからすを白いて言えば、皆は鴉を白いて言う。

 ほれは一度ひとたび子にしたら、是も非もねえ。何が何でも味方して護ってやるからなんだ」


「なるほど。武家の御恩奉公の関係にございますか」


 武士も起こりはこうだった。



「ほんな御大層ごてーそうなものではねえずら」


 恐縮する安五郎親分にわしは、


「大変申し遅れましたが」


 と 懐紙に書き付けて、


「私は、はつがしらにまめと書くご登城のとうに、上様より拝領はいりょうのご偏諱へんきしげ、そして恵みの雨のめぐみを連ねて書いた、登茂恵ともえと申しまする」


 口で説明しながら、名刺の如く読み易い様返して手渡すと、


「はは。拝見致します」


 安五郎親分は宴会でお流れを頂戴する家臣のように、両手で押し戴いて一礼した。


 ついでに、先程から怖い顔で安五郎親分達三人を睨みつけているトシ殿の事を紹介すると。

 柄に手を掛けたまま、トシ殿は無言で軽く会釈する。



「そちらはまた、うんとおっかないお人じゃん」


 切った張ったの世界に生きて、数えきれない修羅場を潜り抜けた安五郎親分が軽口を叩く。

 確かに。もだして気を内に籠めたるトシ殿からは、普段のひょうげげた感じは消え失せて、一個の修羅がそこに居た。


「ほんねんおっかねえ顔をしんでも、若様には刃を向けんよ」


 トシ殿とは対蹠たいせき的に、殊更ことさらひょうげた物言いをする安五郎親分。



 こうして挨拶を交わし、軽く世間話をした後。

 わしは本題を切り出した。


「最近、親分さん達の威名を使い、大それた企てを試みようとする者が居ります」

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