鯨公の戯れ2

鯨公げいこうの戯れ2


「まぁ飲め。そちも土州としゅう生まれの土州育ちであろう」

 小さな玉杯に酒を注がせながら。土州侯としゅうこう様は機嫌良さそうに、大樹公様ご使者の体裁を与えられた郷士に盃を遣わす。

「おおそれながら、お流れを頂く」

 お目見え以下の郷士のせがれであるが、この頃には宣振まさのぶは開き直っていた。


登茂恵ともえ殿もよう参られた。そなたは子供故、酒は酒でも桜井戸の玄酒げんしゅを遣わす」

 玄酒とは祭礼に使われる水の事である。

「我が菩提寺である要法寺ようほうじの境内に湧く名水である。茶会でも珍重される美味き水ぞ。ささ。飲め飲め」


「山号は神の力と書きまするが、何と読むのでございましょう。豊後国ぶんごのくにでは『こうりき』と読むそうにございまするが」

「こうりき? 聞かぬなぁ。

 山号の『じんりき』は法華経にある如来にょらい神力品じんりきほんより頂いた有難き名であるぞ」


 そんなこんなの他愛もない話を重ね二刻ふたときが過ぎ、土州侯様は三升徳利を五つ程空にしていた。

 されどこのような鯨飲しつつも、未だ正体は失っては居ない。その鋭き眼は静かにわしらを見つめている。



「のう象二郎しょうじろう

 辺りを見回しながら、土州侯様は尋ねた。

「もしもわしが戦国の世に生まれていたとしたら。どんな武将になったであろうか?」

「お惧れながら、殿のご英慮を勘案するに毛利元就公かと」

 不意のご下問に象二郎殿が答える。洞春どうしゅん様の名を出すのは、客人であるわしを立てての選択と見た。

 されど、

「元就公であるか……」

 土州侯様は物憂げに口にされた。

 すると参政さんせいの東洋殿が、

「お惧れながら」

 と割って出て、

「殿のご気宇を拝見する限り、殿は織右府しょくうふ様の生まれ変わりかと存じ上げます」

 と申し上げると、

「そうか……」

 土州侯様は機嫌良く盃を飲み干した。

 どうやら雲蒸竜変うんじょうりゅうへんを待ち望んでいるのは、土州侯様も同じと見える。


 土州侯様は小姓と言う名の壮年の男に酒を注がせながら、続けてわしにも同じ事を訊く。

「登茂恵殿ならば、わしを誰になぞらえる? やはり元就公か?」


洞春どうしゅん公様は、生涯酒を断たれた御方でありました」

「では信長か?」

信長公しんちょうこうも酒よりは甘い物を好まれたと伺います」

「ならば誰じゃ?」

 正体は失っておらずとも、酔いは人を絡ませる。


「斗酒猶辞せずの豪傑である土州様ならば、寧ろ軍神・上杉謙信公こそ擬えるに相応しいかと」

「謙信か」

「はい。信長公に堂々勝利なされた御方にございます」

 東洋殿が擬えた信長公。それに勝る武将だから挙げたのだと言っておく。

「世が世であるならば、土州侯様は力山を抜く無双の覇王とお成り遊ばされる事でありましょう」

 と持ち上げた。


「覇王か……ふん」

 土州侯様は鼻で笑って宣振まさのぶを見た。

「さてさて。そちは岡田宣振よしふるであったな?」

「左様にございます」

「上様のご所望により、そちにながいとまを与える。何処なりとも参り、眼鏡に適うしゅうに仕えよ」

 土州侯様ははっきりと宣振まさのぶの身を自由にした。そして、

「わしが今覇王ならば、或いはそちは今韓信かんしんやも知れぬな。

 快く送り出す故、恩に感じるならば、もしも敵の大将となった時には山之内の血を遺してくれよ」

 どこまで戯れかは判らない。赤ら顔で酔った声だが、土州侯様の眼は獅子のように鋭かった。

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