御前出入り3

●御前出入り3


 用意の得物は、先頃薩摩の竜庵りゅうあん殿から贈られた躾刀の木刀だ。


 日本で一番重たく、打ち込んだ釘すらも曲がって仕舞うとされる柚須ゆすの木から作られている。

 なんでも何尋もある老木を十年程丁寧に乾かして、その芯材から削り出した木刀を昔の木のバットの如く、ごしごしと擦り圧縮を掛けながら丹精したのがこの一振り。


 こうして磨き上げられた濃いこげ茶色の木肌は惚れ惚れするほど滑らかで、重さと言いバランスと言い、振った感覚は真剣と同じ物。人を殺すに十分の力を秘めていた。


 真剣とただ一つ違うのは、寝刃でさえも風を切り裂く真剣と比べれば、振って二段三段は劣る速さであるだけと言う事だ。



「くぅえぇぇぇぇい!」

 腹の底から引き出だす気合と共に、腕を圧し折りに行く。


 暗黙の了解として、渡世人の喧嘩は殺敵では無く屈敵を旨とする。

 騙し討ちの敵討ちとか、渡世人でもない身内を殺されたとか。そんな余程の恨みが有れば別だが、殺す為では無く屈服させるために喧嘩をするのだ。

 そんな相手に御親兵ごしんぺいが殺敵で応じるのは、沽券に関わると皆に徹底させてある。

 仮令たとえ再起不能の身体になったとしても、一命を取り止めやすい箇所を狙えとわしは命じておいた。

 さもなくば銃剣の鋭さは、簡単に人を殺めてしまうからな。


 まあ、狙いが外れて殺すのは已むを得ないが、はなから殺しに行っているかどうかは、相手からも見て取れるものだ。



「きぃえーい!」

 脳天に喰らえば容易く目玉と脳漿のうしょうを飛び出させる一撃を、僅かに外して肩口へ。

 手応えは右の鎖骨を折って肩甲骨にヒビ。右肩を封印した相手の顎を掠めて脳を揺らせば、すとんと膝を打ち付けて倒れ崩れる。


 時間が有れば三刻みとき、つまり六時間は打ち込みを遣って来たわしだ。

 それで前世の力の幾許いくばくかは取り戻したが、今は数えのとおの娘の身体。

 決して膂力りょりょくに頼れない。頼るは寧ろ、修羅場慣れした前世の経験。


「くぅぇぇぇぇぇぇい!」

 雄叫びを上げて身体のリミッターを外し、さらに常人の遣わぬ筋肉を活用する。

 わしは前世の下士官時代。敵兵との命の遣り取りの中で体得したのだ。


 如何に高速であろうとも、人体は容易く音速を越えられるものではない。

 放たれた銃弾より速く動ければ、堂々とスーパーマンを名乗れるだろう。


 その程度の速さでは、ヒンジ運動であれば手練れた者には捌き得るものだ。

 しかし、個々の動きは人体制約でヒンジ運動であっても、複数を同時連動させれば相手は読めぬ。

 故にわしの結論が生まれた。


 術理を言葉で表すならば。

 それは潰れるスリーブ。両端が開いて筒状になった箱が井桁が崩れるように潰れる体捌き。

 それはロータリー。円に内接する三角形の回るイメージ。


 真にこれを成し得るならば、敵は見えているのにも関わらず反応が追い付かない。

 目の前の敵は、必殺の術に打たれるその瞬間をゆっくりと、スローモーションの世界の中で体験する。


 次第に熱を帯びる我が心。対蹠的たいせきてきに冷たく醒める我が頭脳。

 初陣の者ならば無我夢中で自分の事すら見ることが適わぬが、お陰でこれだけ派手に立ち回りしても中隊全部の動きをほぼ掴めている。


 ピピピィー! ピピッ、ピピッ。ピピピィー!

 ピピッ、ピピッ。ピピピィー! ピピッ、ピピッ。


 笛を響かせて命令する。今の所、兵達の動きも悪くない。


 でかしたふゆ殿。鉄条網に阻まれて、右翼を突いて来た攻撃が頓挫した。

 後2分持たせよ。そうすれば……。

 奈津殿まだだ辛抱だ。敵が崩れるまで待機せよ。


 うむ。感覚が戻りって来た。こうして切り結びながらも把握できる。下士官時代のそのままに、陣頭指揮を執りながら、詳細な戦場地図と大凡おおよその彼我の動きを、頭の中に俯瞰図ふかんずで描けるのだ。


 無論これは、先日の簡易測量の成果もあっての事ではあるが。

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