埋めな捨てな

うずめな捨てな


「新しき化粧けわいの術やか? もう孫のおる歳や。今更いらん」

「まあまあ。そうおっしゃらんと、お義母かあはん」

 化粧けわい道具を手に、大手より攻め上るお春がすすめる。


 同時に、聡いふゆ殿が、

赦太郎しゃたろうも、綺麗なおばば様を見たいじゃろう?」

「うん!」

「きっとお城の姫様みたいに綺麗になるぞ。綺麗になってと、お婆様にお願いするのじゃ」

 搦手からめてより、赦太郎殿を誘導してくれた。


「ばんば! ばんば! きれーなって」

 可愛い孫にせがまれて、姑殿は渋々の態で承知するが。

「はぁ~。ええ気持ちじゃのぉ」

 蒸しタオルとお春の顔面マッサージに、思わず温泉に入った様な声を漏らす。

 毛穴を開かせ、老廃物を揉みだす施術が始まると、さっきまでの渋々な姿は何処にも無い。

 丁寧に下地を作り、地肌をしっとりとした感じに仕上げた後は、されるがままの姑殿。

「姑殿は、基黄の肌味にございますれば、お年を召しても可愛らしき化粧けわいが似合いまする」

 実際の化粧はお春に任せ、わしは何をしているのかを説明して行く。


「仕上がりました。鏡をご覧下さい」

 姑殿の息が止まる。ここから先はいつか来た道。

「えぇ~~~~~っ!」

 姑殿の悲鳴に、わしは勝利を確信した。

 お春の施した化粧で、くすみやしわが隠れ肌艶の見違えた姑殿は、櫛でいて結い直した時に施した仮染め黒髪の効果も加わって、軽くとうから十五は若返った様に見えるのだ。


「お義母様と呼ぶがは、心苦しゅうなった。お姉さまとお呼びせんと叱られそうや」

 乙女殿が、見た目の若返りに狼狽している姑殿の心の内に打ち掛かった。

 見え透いたお世辞だと撥ねつけようとしても、鏡に映るのは在りし日の姿。

 お春の施した化粧により、目元の皺がカバーされた。これだけでも覿面てきめんに若く映るのだ。

 そしてそんな姑殿に止めを刺したのが赦太郎殿。


「あーうえ(母上)! ばんばが! ばんばが、おねぇになった!」

 嘘ではない。姑殿は還暦前後と伺うのに、鼻両脇から口角外側に現れる法令ほうれい線も娘時代の様に消え失せている。


「そ、そうやか?」

 零れる笑みが、更に姑殿を若く見せた。

 飾る程の語彙を持たぬ赦太郎殿。その回らぬ舌が紡ぎ出す言葉の一句一句から、驚きと嬉しさが弾けている。

 それ故姑殿も、これは紛れも無く追従の影無きまことの言葉と信じることが叶ったのだ。



「如何でございますか?」

「狐に包まれた。ええや、わしが狐になった気分や」

「全ておばば様の内より、引き出した物にございまする。

 今までお気付きに為られませんでしたが、お婆様の内には斯様かような若さと美しさが有ったのでございます。

 みがかば出ずるのは、何も若さや美しさだけではございますまい。

 嫁殿ののうも赦太郎殿のさいも、つとめば必ず手に出来る物にございます。

 子は親の背を見て倣います故、嫁殿ののうを研かせて頂ければ自ずと赦太郎殿も真似を致しましょう。

 身にある物をうずめてしまうのは、まして捨ててしまうのは勿体もったいうございます。

 お婆様もそうお思いに為りませぬか?」


 問いに、場の空気が姑殿の首を縦に振らせる。そこへわしは追撃を仕掛け、勝利の確定と戦果拡大を図った。


御親兵ごしんぺいの女隊士は、科せられた訓練により度々化粧を落とす事となりまする。それ故、今用いた化粧の品が支給されます。

 しかし嫁殿はあまり化粧を気にせぬお方。『わしは使わんきに』と仰られました。

 されど支給をつかさどるのはお役所仕事で、嫁殿お一人にだけ支給せぬ訳には参りませぬ。そんなことをすれば望む者まで支給されなくなりまして、皆が迷惑致します。

 宜しければお婆様がお使いになられては如何でございましょうか?」


「わしが使うてええのかにゃあ」

 などと口にはしているが、声の調子からして極めて乗り気なのは間違いない。


「お使い下さいませ。嫁殿が御親兵の予備隊士を続ける限り、定期的に届けられて溜まってしまいます。

 支給される化粧の品は、古く成れば台無しに為りまする。その前に使い切らねば勿体無うございます」

「そうじゃのぉ。勿体無い。使わんと勿体無いがよな。

 要らん言うたせいで、こがにええ物が皆に配られ無うなったら、岡上おかのうえの家が恨まれてしまう」


 おとした。これで姑殿の協力は間違いない。夫君の反対は封じたも同然だ。

 わしはにっこりと、乙女殿に微笑んだ。


 今回は小聡明あざとい遣り方で、加減を誤れば台無しになったであろう。だがしかし、それだけに決まれば効果はとても高かった。

 虎より強い和藤内わとうないに勝つのは彼の老母であり、老母たるおばば様を陥すには孫に勝る者はいなかったのだ。



 さて。姑殿の余りの化け振りに驚いたのは、何も当人ばかりではない。

 酒の回った状態で、前世平成の化粧術の偉力いりょく目の当たりにした郷士の面々は、

「これが岡上の婆様やか?」

「横に並ぶと、孫が息子に見えるぜよ」

 と何度も目を擦り、指で眉毛に唾を付ける者が続出。

 やや遅れて、予め聞かされていなかった予備隊士採用の女性陣は、

「「「うわぁー!」」」

 と、真昼間でも近所迷惑な程の大歓声を上げた。

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