天狗と木鶏

●天狗と木鶏もっけい


 大樹公たいじゅこう様のお膝元でご重役が襲われた。しかも鉄砲をもちいて。

 続くお伊能いの騒動にすっかり話題は吹き飛んでしまったが、上巳じょうしの変の与えた衝撃は小さい物ではなかったのだ。


 あの日、大樹公様に呼ばれた者の内、大江登茂恵おおえのともえ殿は彦根中将様救援の立役者として、島崎勇しまざき・いさみ殿は前代未聞の御前出入りの関係で、それぞれに名をご府中に轟かせている。

 比して我が身を省みれば、未だ知る人ぞ知る男にしか過ぎない。

 そんな鬱々たる思いを腹に秘めて、日々を送る清川木鶏きよかわもっけいの元へ。夜の闇を忍んで、遣って来たのは水府すいふの書生。


「藤田虎之助が庶子・小野子立おののしりゅうと申します」

 灯火に映る顔は若い。明らかに警戒していた木鶏は、

「おお、東湖様のご子息か。庶子と申されたな」

 口元を緩めながら確認する。

「はい」

 との答えに木鶏は、

「では虎児が白眉はくび小四郎こしろう殿とはそなたの事か」

 口調も一転穏やかに変化する。しかしよく見れば、目は未だ笑って居ない警戒のままだ。


「白眉とは過分にございますが、如何にも小四郎にございます」

「そうか。小四郎殿の事は人伝手ひとづてに、幼少の頃の話を聞いている。

 かくれんぼの時、井戸の中に隠れるなど豪胆だが危険な振る舞いも多かったとか」

「な! なぜそのような事を」

 狼狽する子立を左手で抑える仕草で笑う木鶏。

「今ので狼狽えるとは、確かに小四郎殿ご本人に違いない」

 子供の時の話など、長じてじる事ばかり。今の狼狽をもって木鶏は、目もにこやかに改まった。



「木鶏先生。

 仕損じたとは言え、このご府中で白昼堂々大樹公様ご門の前で、彦根中将が鉄砲にて腰を撃ち抜かれた事を、如何思われまするか。

 生き延びたれとも。羽林、手傷あつかりき。今の務めを全う出来ぬことは必定と申せましょう。


 来年は辛酉しんゆう。即ち革命の年を控えて、大樹を護る羽林うりんいきおいを失いました。これは天下のまつりごとが改まるきざしにございます」

 水府の書生は、天下に名の知れた木鶏に臆することなく、堂々と向き合った。


「子立殿はどう見られる?」

 木鶏は先に意見を聞いた。これは当時の慣例で、年長の者が先に意見を口にすると幼少の者が反対意見を言い難いからである。

 すると待って居ましたとばかりに、子立は自分の説を述べる。

仮令たとえ、革命が大樹公家の天下の内に済むとも。赤鬼羽林が専横は終りを告げ申した。

 されば近々一橋卿が権いを盛り返します。一橋卿は老公がご子息に在らせられれば、水府もこれに随いましょう」


 言葉の区切りに黙って相槌を打って居た木鶏が、

「大樹公家の天下が革むれば、どうなると見る?」

 と水を向ければ、

「天子様の天下。いや、新たに天子様を盛り立てる者達の天下が訪れることでしょう」

 と即答した。


「子立殿もそう思われるか?」

「はい」

「我が清河塾に憂国の士が集まって来た。それがいずれも一廉ひとかどの人物なのだ。

 大樹公様の直臣も含め十有五じゅうゆうご武士もののふが、私の考えに賛同してくれており、これも天命と思い。私は天下の為に大事を成そうと考えている。

 どう天下が変わろうと、八島に巣食う夷狄いてきをどうにかせぬ事には変わるまい。

 だから今こそ降魔調伏こうまちょうぶくつるぎを振う時と思う」


 ここに来て、初めて心の内を子立に見せることにした木鶏は、静かに筆を執り、

「国士・東湖先生の名にちなみ、また敢えて虎穴に入らんとする意気を込め、私は集いをこう名付けた」

 そう言って懐紙に文字を書き付けた。

――――

虎尾の会

――――

「会の目的は尊皇攘夷。

 これからの世は、家職である夷狄征伐が適わぬ大樹公には荷が重すぎる。

 仮令、大樹公家が天下を治め続けるにしても、家職をまっとう出来かねるのでは、天子様のご威光にお縋りするしかないであろう」

 最早、大樹公家は独力で天下を治められぬだろうと木鶏は言った。


「木鶏先生。確かに尊皇攘夷の声は津々浦々に響きましょう。

 仰ぎ乞い願わくば、我ら天狗もそのお先手を務めたいものでございます」

 子立はそっと頭を下げる。


「子立殿は、まるで天狗のかしらの如く申される」

 笑う木鶏に子立は言った。

「かつて母の一帯ひとおびの罪で家を出された私ですが、従叔父いとこおじ伍軒ごけん先生が仰るには、まことに真に父の尊皇の志を継ぐ子は私だけです」

 何れ水府天狗を統べて見せよう。と子立は抱負を明らかにした。

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